桃生ものお)” の例文
伊東新左衛門は桃生ものお郡小野、二千石あまりの館主で、年は三十二歳、生れつき多病のため子供がなく、数年まえ、古内主膳の子で采女うねめというのを養子にした。
桃生ものお郡小野に、二千七百石で、伊東新左衛門という館主がいる。やはり「筋目」であるが、七十郎はその新左衛門の妻の弟であった。彼はいま二十七歳になる。
そのうちの二カ所、登米郡赤生津あこうづと遠田郡小里村の件は、安芸の譲歩によって落着したが、式部はそれで味を占めたように、桃生ものお郡の深谷でまた問題を起こした。
伊達安芸あきと伊達式部との、領地の境界の争いは、遠田郡小里村、登米郡とめごおり赤生津あこうづ村、桃生ものお郡深谷、という三カ所で起こっていて、甲斐はその現地へ、内検分にでかけた。