柬牘かんどく)” の例文
わたくしは又関藤国助さんの「関五郎は藤陰の事に候」と書した柬牘かんどく目覩もくとした。国助さんは藤陰の女婿にして其継嗣なる成緒せいちよの子である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
しかしわたくしは後に茶山の柬牘かんどくを読むこと漸く多きに至つて、その必ずしもさうでなかつたことをさとつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
竹田は氏を書して名を書せない。しかし茶山集に「玉蘊女画史」と称してゐるのを見て、柬牘かんどくの尾道女画史におもひくらべ、玉蘊の平田豊なるべきを推測したのである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)