なおこれ名利の学問であるわいとたちまち皇円阿闍梨の許を辞して黒谷くろだに西塔さいとう慈眼房叡空じげんぼうえいくうの庵に投じた。これは久安六年九月十二日、法然十八歳の時のことであった。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)