弦四重奏曲クワルテット)” の例文
確かに、彼の最後の幾つかの弦四重奏曲クワルテットは奇妙なかげに充ちている。とはいえ『第九交響曲』の勝利は彼のうちに、消えざる輝きの刻印を残したようである。
かくしてある歌謡リーダー Elegischer Gesang『悲歌』や、また最後の弦四重奏曲クワルテットやの、あの神聖な裸身に到達する。これは芸術の奇蹟である。
ベートーヴェンが作品第五十九番のすばらしい弦四重奏曲クワルテットをその人のために書いたラズモフスキーは、一八一五年二月の演奏会が彼の最後の演奏会となった。
死に先だつ四カ月のとき、一八二六年十一月に書き上げた最後の楽章、すなわち作品第百三十の弦四重奏曲クワルテットの書き直された終曲フィナーレははなはだ快活なものである。
*原注——その時ベートーヴェンは生涯の最後の作品(弦四重奏曲クワルテット、作品第百三十番の第二の終曲フィナーレ
君に捧げたあの弦四重奏曲クワルテット〔(原注——作品第十八の一)〕を君に送らなかった理由は、弦四重奏曲を相当によく書くことが判り始めて以来すっかりあれを書き直しているためだ。