“寛和(かんわ)” の例文
郡上の城主金森兵部少輔頼錦は、徳川期の数ある暴君の中でも、暴歛苛法(ぼうれんかほう)で有名でしたが、その暴政を寛和(かんわ)するために、長い間父親と争い続けているのは、その後取の出雲守頼門だったのです。