奎堂けいどう)” の例文
亡ぼすものは胡なりの胡だ。堂という字はそれ、木堂ぼくどう咢堂がくどう奎堂けいどうなどといって皆んなエライ人は堂という字をつける。それにきめておけ
お豊の見た眼に誤りはなく、机竜之助はかの伊賀の上野から、松本奎堂けいどうらの浪士と一緒になってまた大和の国へ逆戻りをして来たものです。
この左の眼のつぶれた人は、十津川天誅組とつがわてんちゅうぐみ巨魁きょかい松本奎堂けいどうであったことが後に知れる。
侍従中山忠光は浪花なにわへ落ち、松本奎堂けいどう、藤本鉄石、吉村寅太郎らの勇士は、或いは戦死し、或いは自殺して、義烈の名をのみとどめた——十津川の乱の一挙は近世勤王史の花というべく、詳しく書けば
大菩薩峠:05 龍神の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)