勧学院かんがくいん)” の例文
その弟も、清盛も、早くから、勧学院かんがくいんの学生であったが、しかし清盛は、いつか通学をやめていた。——すこしは、学問もやれよ。
覚明は、儒家の出身で、蔵人道広くらんどみちひろと名乗って、一時、勧学院かんがくいんにいたことがあるが、出家して最乗坊信救さいじょうぼうしんぎゅうと名乗っていた。
いずれも、ある期間を、勧学院かんがくいんで学んだ学生仲間である。清盛からすれば、源ノ渡は、五年も上級だったし、佐藤義清も、二ツ上。
「だが、勉強のほうは、まるでだめだ。藤原氏の子だと、勧学院かんがくいんにも入学できるが、東国生れの小舎人では……」
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)