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勧学院
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かんがくいん
ふりがな文庫
“
勧学院
(
かんがくいん
)” の例文
その弟も、清盛も、早くから、
勧学院
(
かんがくいん
)
の学生であったが、しかし清盛は、いつか通学をやめていた。——すこしは、学問もやれよ。
新・平家物語:02 ちげぐさの巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
覚明は、儒家の出身で、
蔵人道広
(
くらんどみちひろ
)
と名乗って、一時、
勧学院
(
かんがくいん
)
にいたことがあるが、出家して
最乗坊信救
(
さいじょうぼうしんぎゅう
)
と名乗っていた。
現代語訳 平家物語:07 第七巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
いずれも、ある期間を、
勧学院
(
かんがくいん
)
で学んだ学生仲間である。清盛からすれば、源ノ渡は、五年も上級だったし、佐藤義清も、二ツ上。
新・平家物語:02 ちげぐさの巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「だが、勉強のほうは、まるでだめだ。藤原氏の子だと、
勧学院
(
かんがくいん
)
にも入学できるが、東国生れの小舎人では……」
平の将門
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“勧学院”の解説
勧学院 (岐阜県神戸町)
勧学院(かんがくいん)(旧字=勸學院)は平安時代の藤原氏の大学別曹である。大学寮の南側(左京3条1坊5町 / 現在の京都市中京区西ノ京勧学院町)の地にあったため、大学南曹(だいがくなんそう)とも呼ばれていた。
(出典:Wikipedia)
勧
常用漢字
中学
部首:⼒
13画
学
常用漢字
小1
部首:⼦
8画
院
常用漢字
小3
部首:⾩
10画
“勧学”で始まる語句
勧学坂
勧学篇