去る治承三年には、法皇を鳥羽殿に押し籠め奉り、又、四年には、高倉宮、以仁王の御所を取り囲むという無法も敢て行ない候。
尾瀬の伝説は二、三あって以仁王に関するものが会津方面に伝わっている。
そのころ、後白河法皇の第二皇子、以仁親王は、三条の高倉に住んでいたので高倉宮とよばれていた。彼は十五歳の年に、近衛河原の大宮の御所で、世を忍ぶように、ひっそり元服した。
“以仁(以仁王)”の解説
以仁王(もちひとおう)は、平安時代末期の皇族。後白河天皇の第三皇子。「以仁王の令旨」を出して源氏に平氏打倒の挙兵を促した事で知られる。邸宅が三条高倉にあったことから、三条宮、高倉宮と称された。
(出典:Wikipedia)
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