秀吉は、乞いをゆるし、城兵すべてを、解散した上、一柳市助ひとつやなぎいちすけの部隊を入れて、不破広綱にむかっては
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すると、この秀吉の滞在中に、秀吉直属の部将、一柳市助ひとつやなぎいちすけが、ある時、かれの所を訪ねて
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蜂須賀彦右衛門はちすかひこえもん生駒甚助いこまじんすけ、加藤作内、増田仁右衛門、すこし若い家士のうちには、彦右衛門の子、父の名をついだ小六家政いえまさ大谷平馬吉継おおたにへいまよしつぐ一柳市助ひとつやなぎいちすけ木下勘解由きのしたかげゆ小西弥九郎こにしやくろう
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
目的地に着くやいな、秀吉はすぐ、堀尾吉晴ほりおよしはる一柳市助ひとつやなぎいちすけ木村隼人佑きむらはやとのすけの三部将に
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とはいえ、秀吉の小姓部屋にも、いつかはなたらしは一人もいなくなった。一柳市助ひとつやなぎいちすけの息で一柳四郎の十五というのが最年少であった。蜂須賀彦右衛門の子家政も二十三歳。藤堂高虎が二十七。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)