“よもきち”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
與母吉16.7%
與茂吉16.7%
与母吉16.7%
与茂吉16.7%
四万吉16.7%
四方吉16.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
「有難う存じます、——私は相模屋の手代の與母吉よもきちと申しますが、災難は何處に轉がつて居るかわかりません。斯う言ふわけで——」
與母吉よもきちの顏を見ると、仙太は以ての外の樣子で斯う極め付けました。その後から相模屋の敷居をまたいだガラツ八は、厭も應もなく、それと顏を合せて了つたのです。
手傳つてくれたのは、養子の與茂吉よもきちと、下男の幹助みきすけの二人、一人は二十一二の青白い若旦那型で、一人は赤黒い三十男。
「それから江島屋の内輪の樣子、暮し向き、養子の與茂吉よもきちの里方、下男の幹助と下女のお六の身許から請人うけにん、日頃の心掛、お艶の親達の樣子、世上の噂——」
「有難う存じます、——私は相模屋の手代の与母吉よもきちと申しますが、災難はどこに転がっているかわかりません。こういうわけで——」
与母吉よもきちの話で、大体の様子は判りますが、下手人の見当までは、銭形の平次でも付けようがなかったのです。
養子の与茂吉よもきちと、下男の幹助みきすけの二人、一人は二十三の青白い若旦那型で、一人は赤黒い三十男、一人は弁舌の達者な、感じの滑らかな人間で、一人は無口で丈夫そうで、眼鼻立までがっちりした男
主人の長四郎は四十三歳で、子供は長三郎のほかに、十七歳の四万吉よもきち、十四歳のお初がある。奉公人は自分のほかに、若い者が三人、小僧が二人、女中二人、あわせて十三人の家内であると答えた。
半七捕物帳:68 二人女房 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
幼名は四方吉よもきちい、後に傳次郎でんじろう、それから嘉次郎かじろうとも称しました。生長してからは國倫くにともと称し、あざな士彛しいと号したのです。
平賀源内 (新字新仮名) / 石原純(著)