“まつりょう”の漢字の書き方と例文
語句割合
秣陵100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
江を下る百帆の兵船、陸を行く千車万騎、すでに江南を呑むの概を示して、大揚子江の流れに出で、呉都秣陵まつりょうの西方、濡須のつつみへ迫った。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
味方の軽はずみを戒めて戦っていたが、もとより秣陵まつりょうの城内をほとんど空にして出て来た小勢である。たちまち、撃退されて
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「この上は、秣陵まつりょう(江蘇省・南京の南方鳳凰山ほうおうざん)まで引上げ、総軍一手となって防ぐしかあるまい」と、全軍一夜に野を払って、秋風の如くはしり去った。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹操は全軍を引いて都へ帰り、孫権は秣陵まつりょうへ引揚げたものの、その前線濡須の口も、魏の境界、合淝がっぴの守りも、双方ともいよいよ堅固に堅固を加え合うばかりだった。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、自分は日頃から、呉の都府は、もっと中央に地の利を占めなければならぬと考え、諸州にわたって地理を按じていたが、秣陵まつりょう南京ナンキン附近)の山川こそ実にそれに適している。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
劉繇は始め、秣陵まつりょうへ退いて、陣容をたて直すつもりだったが、敗戦の上にまた敗北を重ねてしまい、全軍まったく支離滅裂となって、彼自身からして抗戦の気力を失ってしまったので
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)