“おおくぼとしみち”の漢字の書き方と例文
語句割合
大久保利通100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
そうして、いつさいの陰謀を、大久保利通おおくぼとしみちと密謀してやつてのけた人である。明治天皇は、ふかく岩倉をおそれたと、伝えられている。
戦争も終わりを告げるころには、西郷隆盛らは皆戦死し、その余波は当時政府の大立者おおだてものたる大久保利通おおくぼとしみちの身にまで及んで行った。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
中山忠能なかやまただよし正親町實愛おおぎまちさねなる徳大寺實則とくだいじさねのり岩倉具視いわくらともみ徳川慶勝とくがわよしかつ松平慶永まつだいらよしかげ島津義久しまづよしひさ山内容堂やまのうちようどう西郷隆盛さいごうたかもり大久保利通おおくぼとしみち後藤象二郎ごとうしょうじろう福岡孝悌ふくおかこうてい、これらの人々が参会した。十二月八日のことであった。
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
大久保利通おおくぼとしみちの遺した手紙のごときは、そのもっとも有力な証拠である。その手紙には、今のことばに訳すると、つぎのように書いてある。(註二)
場合によっては武力に訴えても朝鮮問題を解決しようとする西郷隆盛さいごうたかもりら、欧米の大に屈して朝鮮の小をとうとするのは何事ぞとする岩倉大使および大久保利通おおくぼとしみちらの帰朝者仲間
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)