“あくつ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
阿久津57.1%
明津14.3%
肥土14.3%
飽津14.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
江戸参覲の折、野州やしゅう阿久津あくつの鬼怒川が出水して川止めになり、宇都宮へ戻って、四日あまり滞在なさったが、旅費を使い果され、川は開いたが、渡りもならない。
ボニン島物語 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
同国耶麻やま郡の明戸あけと村も同時の改称で旧名は悪戸である。東京附近では、武蔵橘樹たちばな郡橘村大字明津あくつは、『新篇風土記稿』によれば近い頃まで悪津と書き、大里郡明戸あけと村大字明戸もまた旧称は悪戸である。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
常陸真壁まかべ谷貝やがい村大字上谷貝字飽土あくどは飽満の意を取り、さらに秩父の荒川に沿う秩父郡大田村大字小柱字肥土あくつに至ってはまったく発音と離れてしまった。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
馬から降りた侍は、豊後の用人、飽津あくつ平八で、七日、七ヶ所の調伏を終り、大阪蔵屋敷へ、調所笑左衛門を訪いに行く、牧仲太郎を、国境まで、保護して来たのであった。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)