脱殻ぬけがら)” の例文
旧字:脱殼
なれども、結んだのは生蛇なまへびではござりませぬ。この悪念でも、さすがはおんなで、つつみゆわえましたは、継合つぎあわせた蛇の脱殻ぬけがらでござりますわ。
多神教 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
病後のふるえの見える手で乱れ書きをした消息は美しかった。せみ脱殻ぬけがらが忘れずに歌われてあるのを、女は気の毒にも思い、うれしくも思えた。
源氏物語:04 夕顔 (新字新仮名) / 紫式部(著)
そして長者の善行をたたえる僧や門族や知己しるべたちに囲まれて、長者は脱殻ぬけがらのように老いた体を授けられつつ、仁和寺の客間へしょうぜられて行った。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武帝の崩御ほうぎょも昭帝の即位もかつてのさきの太史令たいしれい司馬遷しばせん脱殻ぬけがらにとってはもはやなんの意味ももたないように見えた。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
そしてようやく準備が終り、一人前の人間として、充分の知識や財産をたくわえた時には、もはや青春の美と情熱とを失い、せみ脱殻ぬけがらみたいな老人になっている。
老年と人生 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
事業に対する限りない執着のため、今は脱殻ぬけがらのごとく彦太郎は、疾走するトラックの運転手台に坐っていた。
糞尿譚 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
そなたもへび脱殻ぬけがら——丁度ちょうどあれにうすうすかわが、竜神りゅうじんからだからけてちるのじゃ。竜神りゅうじん通例つうれいしッとりした沼地ぬまちのようなところでそのかわぎすてる……。
その間法水は、生気のない鈍重な、生命の脱殻ぬけがらのようになって突っ立っていて、むしろその様子は、烈しい苦痛の極点において、勝利を得た人のごとくであった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
なぜなればこれらが人のためにすると己というものは無くなってしまうからであります。ことに芸術家で己の無い芸術家はせみ脱殻ぬけがら同然で、ほとんど役に立たない。
道楽と職業 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
御身請の御恩は主様しゅさまの御恩、親様の御恩にも憎して深いものと承わっておりながら、身をお任せ申しまする甲斐もない、うつそみの脱殻ぬけがらよりもまわしいこの病身
名娼満月 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
それはいはば各々の精気のやうなあの美貌を生みだしたあとの脱殻ぬけがらだからで、このありきたりの風景も、あれらの美貌が加はると、生き返るやうに爽やかになります。
木々の精、谷の精 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
時は移つてく。今日の私はもう昨日の私ではない。脱殻ぬけがらをとゞめることは成長の喜びである。
脱殻 (新字旧仮名) / 水野仙子(著)
ある時は惘然ぼうぜんとして悲しいともなく苦しいともなく、我にもあらで脱殻ぬけがらのようになって居る。
(新字新仮名) / 正岡子規(著)
姉は十一で死んだ。その後家じゅうに赤い切れなぞは切れっ端もあったことはない。自分の家は冬枯れの野のようだとつくづくそう思う。そのうちにふと蛇の脱殻ぬけがらが念頭に浮んだ。
千鳥 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
また今の旧下士族が旧上士族に向い、旧時の門閥もんばつ虚威きょいとがめてその停滞ていたいを今日にらさんとするは、空屋あきやの門にたちて案内をうがごとく、へび脱殻ぬけがらを見てとらえんとする者のごとし。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
どんなに手広に新聞雑誌を利用している cliqueクリク でも、有力な分子はいつの間にか自立してしまうから、党派そのものは脱殻ぬけがらになってしまって、自滅せずにはいられないのです。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
まさしくは三百両の金を今まで呑んでいたその脱殻ぬけがらなのだから只者ではない。
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
しかし、紀久子はもう魂の脱殻ぬけがらのように、黙ってふらふらと静かに歩いていった。敬二郎が抱き止めようとしても、無感情な機械人間のように静かにその手からけて、ふらふらと歩いていった。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
便利あり、利益ある方面に向って脱出ぬけだした跡には、この地のかかる俤が、空蝉うつせみになり脱殻ぬけがらになってしまうのである。
三尺角 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
経俊の母は、脱殻ぬけがらのようになって力なく立った。そして両手でおもておおったまますごすごと退がりかけた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ついでに空蝉うつせみ脱殻ぬけがらと言った夏の薄衣うすものも返してやった。
源氏物語:04 夕顔 (新字新仮名) / 紫式部(著)