真如しんにょ)” の例文
旧字:眞如
あらゆる煩悩と執着とを断って、真如しんにょの生活に入る道場だ。そう思い返すと、俊寛は生れ変ったような、ほがらかな気持がした。
俊寛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
実と虚と相接するところに虚実を超越した真如しんにょの境地があって、そこに風流が生まれ、粋が芽ばえたのではないかという気がするのである。
映画雑感(Ⅶ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
容子ようすで悟った遊女おいらんも目が高かった。男は煩悩の雲晴れて、はじめて拝む真如しんにょの月かい。生命いのちの親なり智識なり、とそのまま頂かしった、鏡がそれじゃ。
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それゆえに、迷信は曇りたる塵心じんしんより生じ、宗教は明らかなる真性より起こり、一は煩悩の雲にして、他は真如しんにょの月との相違あることを知らねばならぬ。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
昨夜ふと真如しんにょの月を仰ぎながら、親鸞しんらんという名もよいと思うたゆえ、その二つをあわせ、愚禿ぐとく親鸞とあらためた。——愚禿親鸞、なんとふさわしかろうが
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼が「世の智慧」をしりぞけて「神の智慧」を説くのは、この真理を受けしめんがためであって、究竟の一、あるいは無念の真如しんにょを受けしめんがためではない。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
れ——達人たつじんは——」声はいさゝかふるえて響きはじめた。余は瞑目めいもくして耳をすます。「大隅山おおすみやまかりくらにィ——真如しんにょつきの——」弾手は蕭々しょうしょうと歌いすゝむ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
ポンというは真如しんにょということで、ポンそのものが真如の本体、法身ほっしんであると説明して、それから教えを説き立てて全く仏教のごとくに解釈してしまったです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
後夜の鐘をつく時は、是生滅法ぜしょうめっぽうと響くなり。晨朝じんじょう生滅滅已しょうめつめつい入相いりあい寂滅為楽じゃくめついらくと響くなり。聞いて驚く人もなし。われも後生の雲はれて、真如しんにょの月をながめあかさん
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
長谷川時雨しぐれ、岡田八千代、茅野ちの雅子、森真如しんにょなど、美しいミスたちが、金魚のように押し並んでいた。
胡堂百話 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
それおもんみれば真如しんにょは広大、衆生と仏と名を異にするとはいえ、法性ほっしょう随妄ずいもうの雲厚く覆って、十二因縁の峰にたなびいてからこのかた、人間本来の清浄心かすかにして
高岳たかおか親王——仏門に入られてからは、真如しんにょ法親王とよばれた方が、天竺てんじく(インド)に渡って仏教を研究されるためにから(支那)の広州の港から、船で天竺に向われ、途中
秘境の日輪旗 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
しりは臀部しりに掛けたもの、しんじょは糝薯しんじょであって半平はんぺんたぐい真如しんにょの月に通ずる。
いたずらに空華くうげと云い鏡花きょうかと云う。真如しんにょの実相とは、世にれられぬ畸形きけいの徒が、容れられぬうらみを、黒※郷裏こくてんきょうりに晴らすための妄想もうぞうである。盲人はかなえでる。色が見えねばこそ形がきわめたくなる。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
真如しんにょの月を眺め明かさん
京鹿子娘道成寺 (新字新仮名) / 酒井嘉七(著)
この、いわゆる一心の体はすなわち真如しんにょと称し、世界万物の本体であると申します。ゆえに、『六斎精進経記ろくさいしょうじんきょうき
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
重蔵は今日まで接した名人上手の構えにも、これほど堂に入った剣聖ともいうべき神技に接したことがなかった……それはあたかも真如しんにょつきを仰ぐようだ。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そうなれば現在の色々なイズムの名によって呼ばれる盲目なるファナチシズムの嵐は収まって本当に科学的なユートピアの真如しんにょの月を眺める宵が来るかもしれない。
烏瓜の花と蛾 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
勇猛精近のおこない堅固に、信心不退転の行者なれば、しか黒暗闇こくあんあんうちに処しても真如しんにょの鏡に心をてらせば、胸間れたる月のごとく、松の声せず鏡の音無きも結句静処を得たりと観じ
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
真如しんにょの月」を眺めるまでにはゆかなくとも、ありがたい、もったいないという感謝の気持、生かされている自分、恵まれているわが身の上を省みつつ、暮らしてゆきたいものです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
真如しんにょの月を眺め明かさん
京鹿子娘道成寺 (新字新仮名) / 酒井嘉七(著)
(古松は般若はんにゃを談じ、幽鳥は真如しんにょもてあそぶ)とあるも、「渓声便是広長舌、山色豈非清浄身。」(渓声すなわちこれ広長舌こうちょうぜつ、山色あに清浄身しょうじょうしんにあらざらんや)
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
真如しんにょを映すものは、真如である。——妻のまごころは、胎養たいようのうちに、十八公麿の心をつちかっていた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そうなれば現在のいろいろなイズムの名によって呼ばれる盲目なるファナチシズムのあらしは収まってほんとうに科学的なユートピアの真如しんにょの月をながめるよいが来るかもしれない。
からすうりの花と蛾 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
けだし「仏法はるかにあらず」です。「心中にしてすなわち近し」です。「真如しんにょほかあらず」です。「身を捨て何処いずこにか求めん」です。少なくとも、私ども人間の生活を無視して、どこに宗教がありましょうか。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
をあわせ、心を静寂しじまの底に澄ませると、どんな時でも、清々すがすがと、真如しんにょの月を胸に宿すことができた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あるいは真如しんにょをもってその実体とし、あるいは物質をもって精神の本拠とし、あるいは精神をもって物質のおおもととする等、いちいち数え尽くすことはできませぬ。
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
それ宇宙万有の本体、精神思想の本源は、儒教これを太極といい、仏教これを真如しんにょという。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
仏教にありては真如しんにょを意味し、ヤソ教にありては真神を意味し、儒教にありては真道を意味し、神道にありては真霊を意味し、老荘にありては真人を意味し、諸学にありては真理を意味し
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)