為義ためよし)” の例文
為義ためよしはもう七十の上を出た年寄としよりのことでもあり、天子てんしさま同士どうしのおあらそいでは、どちらのお身方みかたをしてもぐあいがわるいとおもって
鎮西八郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
父の為義ためよしをはじめ、兄弟の武士たちが、保元の乱で、みなわがために命を捨てて働いたのに、彼一人、われに敵対した。
ここには源氏が二人、故六条判官為義ためよしの末子、賀茂冠者義嗣、淡路冠者義久の兄弟を大将として城を構えて待っていた。
わしは白昼はくちゅうに見たのだから。それは無数の霊の空中に格闘かくとうする恐ろしい光景であった。わしは武器の鏗鏘こうそうとして鳴る音を空中に聞いた。そのあるものは為義ためよしのようであった。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
いまはめたが、検非違使けびいしをしていたみなもと為義ためよし。知ってるだろう。大治たいじ五年、あの人が、延暦寺えんりゃくじ堂衆どうしゅうの鎮圧にのり出したとき、四白の栗毛くりげにのっていた。相模栗毛さがみくりげとよんで、人も知るかれの愛馬だ。
八幡太郎義家はちまんたろうよしいえから三だいめの源氏げんじ大将たいしょう六条判官為義ろくじょうほうがんためよしといいました。為義ためよしはたいそうな子福者こぶくしゃで、おとこ子供こどもだけでも十四五にんもありました。
鎮西八郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
保元の昔からかえりみますれば、祖父為義ためよしあだ、平治の乱では、父義朝よしともかたきだった平家でございます。
まづ一〇四信頼のぶよりが高きくらゐを望む驕慢おごりの心をさそうて一〇五義朝よしともをかたらはしむ。かの義朝こそにくあたなれ。父の一〇六為義ためよしをはじめ、同胞はらから武士もののべは皆がためにいのちを捨てしに、他一人かれひとりわれに弓をく。
そういうさわぎの中に為朝ためともがひょっこりかえってたのです。為義ためよしももうむかしのように為朝ためともをしかっているひまはありません。
鎮西八郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)