うるお)” の例文
板屋根の上のしたたるばかりにうるおいたるは昨夜の雲のやどりにやあらん。よもすがら雨と聞きしもかけひの音、谷川の響なりしものをとはや山深き心地ぞすなる。
旅の旅の旅 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
これをかゆとしまた鰹節かつぶし煮出にだしてもちうれば大に裨益ひえきあればとて、即時そくじしもべせておくられたるなど、余は感泣かんきゅうくことあたわず、涕涙ているいしばしばうるおしたり。
伝吉は死骸にとりすがったなり、いつまでも一人じっとしていたが、涙は不思議にも全然睫毛まつげうるおさなかった。その代りにある感情の火のように心をがすのを感じた。
伝吉の敵打ち (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
数年前予が今この文を草し居る書斎に対して住みいた芸妓置屋の女将が愛翫したカジカ蛙が合掌して死んだは信心の厚い至りと喋々ちょうちょうして、茶碗の水ででもうるおしたものか
扁桃アメンドのような恰好をしたうるおいのある眼、微笑を含んだ赤い脣、油をてか/\つけた鼻髭、最新流行の刈込をした頭、婦人たちのいわゆる「好いたらしい」といったような厭らしさを持った綺麗な顔
いつの間にか船首をめぐらせる端艇小さくなりて人の顔も分き難くなれば甲板かんぱんに長居は船暈ふなよいの元と窮屈なる船室にい込み用意の葡萄酒一杯に喉をうるおして革鞄かばん枕に横になれば甲板にまたもや汽笛の音。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
甲「祖爺の霊光にうるおいません」(これは入幇の意)
現にまた同じ新聞の記者はやはり午後八時前後、黄塵をうるおした雨の中に帽子をかぶらぬ男が一人、石人石馬せきじんせきばの列をなした十三陵じゅうさんりょう大道だいどうを走って行ったことを報じている。
馬の脚 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
まず娘どもをゆあみさせ新鮮潔白な絹衣を着せ、高壇に上って早朝より日中まで立たしむると、熱国の強日にさらされ汗が絹衣にとおる。一々それを新衣にえしめ、汗にうるおうた絹衣を収めて王に呈す。
彼は娘と入れ違いに噴井ふきいの側へ歩み寄って、大きなたなごころすくった水に、二口三口のどうるおした。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
このさまを見たる喜左衛門は一時いちじの怒に我を忘れ、この野郎やろう、何をしやがったとののしりけるが、たちまち御前ごぜんなりしに心づき、冷汗れいかんうるおすと共に、蹲踞そんきょしてお手打ちを待ち居りしに
三右衛門の罪 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
江西と云えば彼女の産地は、潯陽江上じんようこうじょうの平野である。中学生じみた感慨に耽ければ、楓葉荻花瑟瑟ふうようてきかしつしつの秋に、江州の司馬白楽天が、青袗せいさんうるおした琵琶の曲は、かくの如きものがあったかも知れない。
上海游記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
が、老紳士は少しも、こっちの返事などには、注意しない。折からウェエタアが持って来たウイスキイで、ちょいとのどうるおすと、ポケットから瀬戸物のパイプを出して、それへ煙草をつめながら
西郷隆盛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)