たゞ)” の例文
伊沢氏の学風は李朱医学の補血益気ほけつえききに偏したものではなかつた。たゞ井上金峨の所謂「廃陰陽、排五行、去素霊諸家、直講張仲景書者」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
(○明、王陽明の語)と、是何物ぞや、其たゞ心之所爲にあらずや。心明なれば知又明なる處に發すべし。
遺訓 (旧字旧仮名) / 西郷隆盛(著)
吾等はたゞ一の案内者を持てり——すなはち凡ての物に衆合的及び個物的に通徹して存せる宇宙大精気ユニバーサルスピリツトなり。
トルストイ伯 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
されば元日の初日影もたゞ雪の銀世界せかいてらすのみ。一ツとして春の景色けしき不見みず古哥こかに「花をのみ待らん人に山里の雪の草の春を見せばや」とは雪浅きみやこの事ぞかし。
されば元日の初日影もたゞ雪の銀世界せかいてらすのみ。一ツとして春の景色けしき不見みず古哥こかに「花をのみ待らん人に山里の雪の草の春を見せばや」とは雪浅きみやこの事ぞかし。
しかし書を著すものはことさらに審美学者の所謂無秩序中の秩序を求め、参差さんし錯落の趣を成して置きながら、這般しやはんの語を以て人を欺くのである。たゞ清川の此八字は実録である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
こゝろ帰家かへりたきにありて風雅ふうがをうしなひ、古跡こせきをもむなしくよぎり、たゞ平々なみ/\たる旅人りよじんとなりて、きゝおよびたる文雅ぶんがの人をも剌問たづねざりしは今に遺憾ゐかんなり。嗟乎あゝとしけんせしをいかんせん。
たゞ鰐水は「著眼鏡」と云ひ、「不脱眼鏡」と云ひ、又「閣筆」と云つて、多く具象的文字を用ゐた。里恵の聞いて実に非ずとなすものは、或は其間に存したのではなからうか。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
こゝろ帰家かへりたきにありて風雅ふうがをうしなひ、古跡こせきをもむなしくよぎり、たゞ平々なみ/\たる旅人りよじんとなりて、きゝおよびたる文雅ぶんがの人をも剌問たづねざりしは今に遺憾ゐかんなり。嗟乎あゝとしけんせしをいかんせん。
空腹すきはらにおよんでさむさたへず、かくては貴殿おみさまともなひて雪をこぐことならず、さいぜんのはなしにおみさまのふところ弁当べんたうありときゝぬ、それを我にあたへたまふまじきや、たゞにはもらふまじ、こゝに銭六百あり
空腹すきはらにおよんでさむさたへず、かくては貴殿おみさまともなひて雪をこぐことならず、さいぜんのはなしにおみさまのふところ弁当べんたうありときゝぬ、それを我にあたへたまふまじきや、たゞにはもらふまじ、こゝに銭六百あり