いや)” の例文
旧字:
村では其水を飲料としているのであろう、他に井戸というものが見当らない。生温い水で好ましくはないが皆それを飲んで渇をいやした。
老大富裕国英仏が、戦後の疲れなおいやし切れなかった貧乏国ドイツに対し、ナチス政権確立後僅々数年でかくの如き劣勢に陥ったのである。
戦争史大観 (新字新仮名) / 石原莞爾(著)
馬上に握り飯を取って喰い、湯柄杓ゆびしゃくで寸時のかついやしたぐらいで、秀吉は、くに長浜を出、曾根、速水はやみと駈けつづけていた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
われわれは斯かる種類の美をわずかに中世に於ける能面彫刻に見て渇をいやすのであるが、幸に日本彫刻の伝統の中に肖像彫刻の一目があって
本邦肖像彫刻技法の推移 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
殊に「この句にて腹をいやせよ」と大気焔を挙げた勢ひには、——世捨人は少時しばらく問はぬ。敬虔けいけんなる今日の批評家さへ辟易へきえきしなければ幸福である。
芭蕉雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
自分は家へ帰つてもつまらないと疲労を酒でいやして、十時には自由になるかつ子を迎へて一しよに戻るつもりだつたのです。
現代詩 (新字旧仮名) / 武田麟太郎(著)
それに横わると、ほとんどすべての抵抗がとれて、肉体のきずも魂のうずきおのずから少しずついやされてゆく椅子——そのような椅子を彼は夢想するのだった。
苦しく美しき夏 (新字新仮名) / 原民喜(著)
イエスは敵を避けて湖畔に退き給うたところ、おびただしき民衆が彼についてき、彼は多くの人をいやし悪鬼を追い出し給うた(三の七—一二)。
酒不足の折柄、老生もこのごろは、この屋台店の生葡萄酒にて渇をいやす事に致し居候。四月なり。落花紛々の陽春なり。
花吹雪 (新字新仮名) / 太宰治(著)
徳川三代将軍家光の牟礼野田猟むれのかりの時、御殿山に休息して池の泉にかついやしてから、弁財天べんざいてん堂宇どううも立派にされました。
犬の生活 (新字新仮名) / 小山清(著)
けれども、今の私は当分現代に近い小説をドシドシ読んでもらって、小説ひでりをいやしたいと思っています。あなたに興味はおありにならないかしら。
私はその境地にあって必ず何等かの不満を感ずる。そして一歩を誤れば、その不満をいやさんが為めに、益〻ますます本能の分裂に向って猪突ちょとつする。それは危い。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
かくて、新武断派に対する旧武断派のいやし難き遺恨、火炎の剣に対する正統のサーベルのいやし難き遺恨、天才に対する定型者の医し難き遺恨が生まれた。
娼妓といふ生活からの習性もあらうが、性質が本来頭ぬけて淫奔なので、肉慾も食慾も同じやうな状態で、喉の乾きをいやすやうに違つた男の肌をもとめる。
戦争と一人の女 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
稍々やゝ役立つには役立つたが、此の無恋の、此の落寞たる心もちをいやすには、もう役立ちさうもなく見えて、何か変つた刺戟剤しげきざいを、是非必要としてゐたんだ。
良友悪友 (新字旧仮名) / 久米正雄(著)
そして例のいやしがたい楽天主義のあまり、損失全部をでなくとも、せめて預金者らへかける損失だけは、回復の方法を見出せるだろうと、無理にも思い込んだ。
すべてが思ふやうにならないといつて焦慮れるのは、私が悪くなくてなんであらう。自らをいやすものは自らの外にある筈がない。それを私はあの人に望んでゐる。
脱殻 (新字旧仮名) / 水野仙子(著)
肥沃の地に対するあれほどの渇望を、今こそ——今日の今からいやすことが出来るのだ。彼は足をはやめた。妻の姿は脳裡のうりから消えていた。空腹さえうち忘れ得た。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
重右衛門の為めには、女房が出来たのは余り好い事では無かつたが、もし二人の間に早く子供が生れたなら、或は重右衛門のこの腹の虫を全くいやし得たかも知れぬ。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
が、過去の示教しきょうに満足し得ず、更に奥へ奥へと智識の渇望をいやせんとする好学の士も、また決してすくなくない。われ等は神命によりて、それ等を指導せんとするものである。
井戸はそのまま残っていて、むかしは旅行者の酒を割る水となり、彼の馬の渇をいやしたわけだ。
灼けつくようなかわきをいやすため、夢中になってその甘酸っぱい水をゴクリと咽喉のどにとおしたとき、青酸加里のカプセルは笛吹川の口を離れて夫人の胃の腑に運ばれてしまったのです。
赤耀館事件の真相 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「神はきずつけまたつつみ、撃ちて痛め、またその手をもていやし給う」のである。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
わたくしにしてもそれにも代って労りもし慰めもし、また、やさしく叱って導いても呉れるような良人というものを得て、このこころの渇きをいやすべきではないかと思わないことはありません。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
直情径行は今も昔もいやし難き余の病なりしかば、数ば大声を発し、論戦若し危きに及べば所謂横紙破りの我慢をも言出だしき。然れども透谷は敢て同一の調子にてそれに抵抗したることなかりき。
透谷全集を読む (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
そして情欲の動乱と罪悪の恥辱とにいやしがたい傷を受けた彼は、敗残の身をジュラの山奥にひそめた。愛と憎悪との矛盾相剋そうこくにさいなまれた彼は、苦痛の底から謙虚な心をもって周囲を見回した。
当時の二葉亭の説を簡単に掻摘かいつまむと、善といい悪というは精神の健全不健全のいいで、いわゆる敗徳者、堕落者、悪人、罪人等は皆精神の欠陥を有する病人である、その根本の病因をいやさないで訓誡
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
そして鈍い曲線の波がいやしがたい疲労を漂はしてゐる様に見えた。
水と砂 (新字旧仮名) / 神西清(著)
閑静に対する自分の渇望をいやそうとしたとするね。
燃える情欲の渇をいやしてくれ給え。
彼女の人間、女としてのいたみはそこでいやされ、科学者としての燃焼はそこから絶えざる焔をとったのであった。
知性の開眼 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
しかし待ち構えた群集が押しかけてきたので、教えたりいやしたり、応接に忙しくて食事の暇もなかった。
三十四五、実際この頃には誰にでもある煩悶はんもんで、この年頃にいやしい女に戯るるものの多いのも、畢竟ひっきょうその淋しさをいやす為めである。世間に妻を離縁するものもこの年頃に多い。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
「ああ、おいしい」妻は寝たまま、まるで心のかわきまでいやされるように、それを素直にうけとる。佗しく暗い気分のなかに、ふと蜜柑の色だけが吻と明るく浮んでいるのだった。
美しき死の岸に (新字新仮名) / 原民喜(著)
他人の手で堕落せしめるといふ手段によつて秘かにいやされぬ自らの情慾を慰めようといふ斯様に変態的なカラクリがひそかに作用いてゐたのではあるまいか? かうまで整然たる筋を
雨宮紅庵 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
で、彼等は何とかしてこの苦痛をいやすべく、昔馴染なじみの魔窟に出入して、恰度ちょうど自分に誂向きの犠牲者を捜し出し、人知れずその体内にくぐり込んで、酒色の慾を満足せんとするのである。
そこには必ず彼の求むる水があると思った。しかるにいよいよ近づきて彼らの態度を見、またその語に接するや期待は全然裏切られて、わがかわきいやすべき水は一滴も見当らないのである。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
昨日の吹雪にははりのきしみを聞いたような気がした。彼は、そういう渇く思いをいやす機会を捉えた。どうしても一ッ走りと考えついた。深い雪のなかであった。みちと云うべきものも無かった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
不羈独立の魂の第七日の休養は青鞜女優や閨秀作家によつてはいやされ得ないものだ。
文学らしい文学をもとめる人々の心の渇きは愈々いやされがたいという状況にあった。
婦人と文学 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
枕も上らずせつて居ると、父親は又父親で、失敗の自棄やけいやさん為め、長野の遊廓にありもせぬ金を工面して、五日も六日も流連ゐつゞけして帰らぬので、年をつた、人の好い七十近い祖父が
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
彼の最後ののどの乾きをいやさずにゐられやうか。私は然し一つの閃く考へのためにピリピリした。私は彼を見つめた。苦しげであつたが、どこか安らかな翳があつた。私の胸はみちたりてゐた。
花火 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
たうていいやしがたく割切りがたい苦汁のやうな哀愁であつた。
蒼茫夢 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)