其方そっち)” の例文
注意が自然と其方そっちに向かうのを引戻し引戻しするための努力の方が、努めて聞こうとする場合の努力よりもさらに大きいかもしれない。
ラジオ雑感 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
大根おおねはといえば好なんだから唐物屋なら唐物屋で、もっと給料を出すからといったところで、役者をやめて其方そっちへ行きやしません。
久保田米斎君の思い出 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
母「べんと云うのに何故面前へ膳を突附つきつけたのじゃ、手前は母へ逆らうか、喰べんと云ったら喰べやアしません、其方そっちへ持ってけ」
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
生家さとでは二三年のあいだ家を離れて、其方そっちこっち放浪して歩いていた兄が、情婦おんな死訣しにわかれて、最近にいた千葉の方から帰って来ていた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「いずれ宗蔵の為には、誰か世話する人でも見つけて、其方そっちへ預けて了おうと思う——別にでもするより外に仕様のない人間だ」
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「そうですか。旦那はいける方だったんですか。わたしと来たらお酒も煙草も、両方ともカラいけないんですよ。其方そっちなら誰にも負けません。」
にぎり飯 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ドレ其方そっちの床の間に在る其煙草入と紙入を取ッて寄越せ(妾)なに貴方賊など這入はいりますものか念の為めに見てあげましょう
無惨 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
僕は庭なぞを歩くとき、これまでは台所の前を通っても、中でことこと言わせているのを聞きながら、其方そっちを見ずに通ったのが、今度は見て通る。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
スルトそのつな引張ひっぱって呉れ、其方そっちの処を如何どうして呉れと、船頭せんどうが何か騒ぎ立て乗組のりくみの私に頼むから、ヨシ来たとうので纜を引張たり柱を起したり
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
其方そっちへも来ていないと云うんで、大騒ぎになって、いろいろ心あたりを調べると、実は晝間これこれだったと云う。
紀伊国狐憑漆掻語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
其方そっちへ、廻ると、此方こっちの隅へ逃げる。此方で捕まえようとすると彼方あっちへ逃げる。——二、三度、繰返しているうちに、雲霧の血は、もう盲目的になり
雲霧閻魔帳 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「久しぶりですから、一人ずつ立って話しちゃ何うです? 現在の仕事、将来の抱負、まあその辺のところをやり給え。それじゃ其方そっちの隅から、松本君」
母校復興 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
が、棚のそばにあった筈の椅子へ上衣をかけるつもりで其方そっちへ行きかけたとたんに、何かの道具に膝をしたたか打衝ぶっつけて、あまりの痛さにアッと声をあげた。
孤独 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
すぐに小間使が出て来ましたので、繁青年が何か云うだろう、こう思って其方そっちを見ましたところ、何んと驚くじゃァありませんか、繁青年はいないのです。
「判らないのは其方そっちだ、金なんざ欲しくはない。貧乏はして居ても松本鯛六、あの人形に身売をさして、栄華を見ようとは思わない、サア直ぐ返して下さい」
「知らないわ。馬鹿らしい。好きな人がある位なら、始めっから其方そっちへ行ったら好いじゃありませんか」
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「あゝ、そうですか。じゃ一寸お待ちなさい!」と、次の間に入って行ったが、また出て来て、「宮ちゃん、其方そっちの戸外の方から行きますから。」と、密々ひそひそと言う。
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
「待ってますよ。それからみどりは其方そっちにいるかえ、余り帰りが遅いからどうしたかと思って」
亡霊ホテル (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
... しやがつて、其方そっちよりは此方こっちが泣きてえ」と立掛り「さあ金を出さねえか、脇へこかしたな、し、尼あ引きずつて行つて、叩き売つて金にする」と内侍ないし引立ひったてに掛る。
戸外おもての方は騒がしい、仏間ぶつまかたを、とお辻はいつたけれども其方そっちを枕にすると、枕頭まくらもとの障子一重ひとえを隔てて、中庭といふではないが一坪ばかりのしツくひたたき泉水せんすいがあつて
処方秘箋 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
おい、も少し其方そっちい寄んねえ、己れやまるで日向に出ちゃった。
かんかん虫 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
二人共、酒盃は其方そっちのけにして、石を並べはじめました。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
杢「あゝ、まだ用があるよ、おい/\其方そっちへ行っちゃアいけないよ、アラ垣根を跨いで出て行ってしまった、粗忽そゝっかしくって仕様がない」
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
わたくしは返事をせず、静に風呂敷の結目むすびめを直して立上ると、それさえ待どしいと云わぬばかり、巡査は後からわたくしのひじを突き、「其方そっちへ行け。」
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そして鉱山やま売買うりかいなどに手を出していたところから、近まわりを其方そっちこっち旅をしたりして暮していたが、東京へ来たのもそんな仕事の用事であった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
此処は一体何処やねんやろ! きっといつもの笠屋町の家に違いない、生憎あいにく其方そっちい背中向けて寝てるのんで、二人の様子見えへんけど、見えんかてもう分ってる。
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「まあ、これが兄さん?」とお福は眺めて、「これは可愛らしいが、何だか其方そっちはコワいようねえ」
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「よく似合うよ、どれ其方そっちへ向いてごらん。おお実に綺麗だ。不良共がさぞ吃驚びっくりすることだろう」
海浜荘の殺人 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
下駄を突っかけると飛石伝いにそっ其方そっちへ小走って行った。燈火ともしびの射さない暗い露路に小供が一人立っていたが、しかしそれは小供ではなく思った通りトン公であった。
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
学長は取り合われなかった。余の講義のまずかったのは半分はこれが為めである。学生には御気の毒だが、図書館と学長がわるいのだから、不平があるなら其方そっちへ持って行って貰いたい。
入社の辞 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
戸浪が立ち上るを「すざり居らう」と叱り、左手の刀の鐺を其方そっちへつき出し、これに右の肘をもたせ、その上に体をのせかけ、口を開き舌を出して大見得あるところぢやぢやがきたり。
両座の「山門」評 (新字旧仮名) / 三木竹二(著)
「早い話が其方そっちの旦那はあっしがこの店を出した頃からのお得意さまです。十何年というもの、頭の毛が薄くなるまでっともお動きになりませんから、御出世が早くて、もう課長さんですよ」
求婚三銃士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
よべの嵐に吹き寄せられた板片木片を拾い集めているのである。自分は行くともなく其方そっちへ歩み寄った。いつもの通りの銅色あかがねいろの顔をして無心に藻草の中をあさっている。顔には憂愁の影も見えぬ。
(新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
私の心は何も彼も忘れて了って、唯其方そっちの方に迷うていた。
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
其方そっちへ行っちゃア危ない。此方こっちからそっと出る方がい。」
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「今しがた其方そっちへ変な人間が行きアしないか」
隅「んだい、其方そっちへお出でよ、うるさいからお出でよ、袂へ取ッつかまって仕ようが無いヨウ、其方へお出でッたらお出でよ」
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
お島はかなめけやきの木とで、二重になっている外囲そとがこいまわりを、其方そっちこっち廻ってみたが、何のこともなかった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「誰だ、そんなに泣くのは……其方そっち行け……あんまり種々な物を食べたがるからそうだ……めッ」
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
私は何より、彼女の素足を見せられるのが一番強い誘惑なので、成るべく其方そっちを見ないようにはしましたけれど、それでもちょいちょい眼を向けないではいられませんでした。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
侍従は四辺あたりを見廻わした末、花瓶の蔭に腰かけている例の紳士を見出すと、其方そっちへ大股に歩いて行った。侍従が恭しく一揖すると紳士は頷いて立ち上ったが、驚いた表情も見せなかった。
闘牛 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「君はナカ/\分っているようだけれど、其方そっちの大将はどうだい? 吉川君」
求婚三銃士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
「勇美子さん、其方そっちへ行ってはいけません」
身代りの花嫁 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
○「何のこった、人を馬鹿にして、しか面白おもしれえ、何か他に、あゝ其方そっちにいらっしゃるお侍さん、えへゝゝ、旦那何か面白おもしろえお話はありませんか」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
まあ、あないに骨折らしときながら、其方そっちの方い飛ばしり行くのん考えなんだのんは何といわれても手落ちですさかい、出て行く時にいろいろなもん買うてやったりして機嫌取りましてんけど
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その内に自分は何気なく新井君を振り向いて見ると不思議にも新井君は洋館とは反対の方面を見つめているではないか。で自分も其方そっちを見ると、遥か向うの暗黒の中に、提燈ちょうちんの灯が一つ燃えていた。
広東葱 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「このダンベラは、どうかして其方そっちへ片付けろ」
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
其方そっちです。その縁側の突き当りです」
脱線息子 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
馬「高いね、もうっと安直なのは無いかね、安いので宜しい、今日一日の掛流しだから、安いのがい、安いのは無いかい、其方そっちの方のは幾らだ」
其方そっちへ逃げたに相違無い。行って捕縛しろという謎なのである。