“こうい”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
更衣25.0%
行為25.0%
厚意15.0%
好意10.0%
校尉6.3%
紅衣5.0%
縞衣1.3%
后衣1.3%
後胃1.3%
攻囲1.3%
皇位1.3%
絳衣1.3%
綱位1.3%
講帷1.3%
香以1.3%
香入1.3%
黄衣1.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
ことしの五月雨さみだれ頃だった。弘徽殿こきでん更衣こういづきの、さる女官が、藤壺のひとつのうす暗い小部屋で、ひとりの官人と、ひそか事をたのしんでいた。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
不正なる行為こういは富の外にも行われる。不正なる行為をもって名誉を得る者もある。その代りには律義りちぎしょくで金をこしらえる者もある。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
しか卯平うへい僅少きんせう厚意こういたいしてくぼんだ茶色ちやいろしがめるやうにして、あらひもせぬから兩端りやうはしちひさなあな穿うがつてすゝるのであつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
その事実をしるさんに、外国公使中にて最初さいしょ日本人にしたしかりしは米公使タオンセント・ハリスにして、ハリスは真実好意こういを以て我国わがくにに対したりしも
「それは頼もしい。朝廟にも校尉こうい种輯ちゅうしゅう議郎ぎろう呉碩ごせきの二人がある。二人とも漢家の忠良だ。い日をはかって、打明けてみよう」
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
慶良間けらまの或る島で祭の夜、白衣の祝女たちの行列の間をくぐって、小腰こごしをかがめて何べんか往来した紅衣こういの神が、後に村民ぼうの妻だったことをすっぱ抜かれて
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
魏の将士はあやしみつつ陣門へ通し、やがて、使者の乞うまま司馬懿しばい仲達に取り次いだ。司馬懿はまずはこを開いてみた。——と、匣の中からは、あでやかな巾幗きんかく縞衣こういが出てきた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また縞衣こうい女服にょふくである。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、泣き狂う何太后をも、即座にその后衣こういいで、平衣へいいとさせ、後列へしりぞけたので、群臣も思わず眼をおおうた。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
心臓も肝臓も後胃こういもそれぞれ料理法がある。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
秀吉が但馬たじまから帰陣すると、信長の本軍は、一翼を加えたので、本格的に、三木城の攻囲こういにかかった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
第二条 皇位こうい皇室典範こうしつてんぱんノ定ムル所ニ皇男子孫こうだんしそん之ヲ継承ス
大日本帝国憲法 (旧字旧仮名) / 日本国(著)
謹厚の人もまた絳衣こうい大冠すと驚かれたる劉郎りゅうろうの大胆、虎穴こけつに入らずんば虎子を得ずと蹶起けっきしたる班将軍が壮志、今やこの正直一図の壮年に顕われ、由々しくも彼を思い立たしめたり
空家 (新字新仮名) / 宮崎湖処子(著)
さりながら正四位しょうしい何のなにがしとあって仏師彫刻師をむこにはたがらぬも無理ならぬ人情、是非もなけれど抑々そもそも仏師は光孝こうこう天皇是忠これただの親王等の系にいで定朝じょうちょう初めて綱位こういけ、中々なかなかいやしまるべき者にあらず
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
はじめ余ノ昌平黌ニアルヤ寺門静軒てらかどせいけんマサニ駒籠こまごめヲ去ラントシ、余ニ講帷こういガンコトヲ勧ム。時ニ余一貧洗フガ如シ。コレヲ大沼竹渓翁ニはかル。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
津藤つとう即ち摂津国屋つのくにや藤次郎とうじろうは、名はりん、字は冷和れいわ香以こうい鯉角りかく梅阿弥ばいあみ等と号した。その豪遊をほしいままにして家産を蕩尽とうじんしたのは、世の知る所である。文政五年うまれで、当時四十歳である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
香入こういれやさかなかたち勾玉まがたま毛拔けぬきのような小道具こどうぐがついてをります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
けれどもお寺の中のいちばん高いところには、最高の御仏みほとけである仏陀ぶっだが聖なる絹の黄衣こういを身にまとって立っていました。