まちの人の言葉も、まさか鴃舌というほどではなかったが、東京の人の言葉にくらべて、へんに語勢が強く、わかりにくいところが多かった。
でも、あの時分は放送事業草創時代のことだから、南蛮鴃舌のアナウンサーが多少まじつてゐたのかとおもつてゐたら、この傾向はだんだん年と共にひどくなつてゆく。
ふたたび若者同士の会話になると、鴃舌のたぐいに戻る。五郎は疎外感を感じながら思う。
さても鴃舌の音、一時ムカとしてもみましたけれど、いやいや、ところかわれば品もかわるのだ、かえって、先方は、こっちの江戸弁——をさげすんで、嘲っているようでもある。
と全く鴃舌の感がある。