“顕如”の解説
顕如(けんにょ、正字体:顯如)は、戦国時代から安土桃山時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第11世宗主・真宗大谷派第11代門主。大坂本願寺住職。
顕如は号で、諱は光佐(こうさ)、法主を務めた寺号「本願寺」を冠して本願寺光佐(ほんがんじ こうさ)とも呼ばれる。院号は信楽院(しんぎょういん、正字体:信樂院)。法印大僧正、准三宮。父は第10世宗主の証如、関白内大臣・九条稙通の猶子。室は左大臣・三条公頼三女の如春尼。長男は真宗大谷派第12代門首の教如、次男は真宗興正派第17世門主の顕尊、三男は浄土真宗本願寺派第12世宗主の准如。
織田信長と敵対した後は全国の本願寺門徒に信長打倒を呼びかけ信長包囲網の一角となって、10年以上にわたって激しい攻防を繰り広げたことで知られる。
(出典:Wikipedia)
顕如は号で、諱は光佐(こうさ)、法主を務めた寺号「本願寺」を冠して本願寺光佐(ほんがんじ こうさ)とも呼ばれる。院号は信楽院(しんぎょういん、正字体:信樂院)。法印大僧正、准三宮。父は第10世宗主の証如、関白内大臣・九条稙通の猶子。室は左大臣・三条公頼三女の如春尼。長男は真宗大谷派第12代門首の教如、次男は真宗興正派第17世門主の顕尊、三男は浄土真宗本願寺派第12世宗主の准如。
織田信長と敵対した後は全国の本願寺門徒に信長打倒を呼びかけ信長包囲網の一角となって、10年以上にわたって激しい攻防を繰り広げたことで知られる。
(出典:Wikipedia)
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