雲従うんじゅう)” の例文
多紀安琢あんたくもまたこの年一月四日に五十三歳で歿した。名は元琰げんえん、号は雲従うんじゅうであった。その後を襲いだのが上総国かずさのくに夷隅郡いすみごおり総元村そうもとむらに現存している次男晴之助せいのすけさんである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
けいを漁村、竹逕ちくけいの海保氏父子、島田篁村こうそん、兼松石居せききょ、根本羽嶽に、漢医方を多紀雲従うんじゅうに受け、師範学校において、教育家として養成せられ、共立学舎、慶応義塾において英語を研究し、浜松
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)