間切まぎり)” の例文
また同書によって察度の第宅ていたくなる大謝名おおじゃなの金宮の辺がかなり繁昌した所であった事もわかる。『オモロ双紙』によれば泊も那覇?——も古くは浦添間切まぎりの中であったという事がわかる。
浦添考 (新字新仮名) / 伊波普猷(著)
村の連合の日本で郷とった区域を、もうこの頃から南方では間切まぎりと呼んでいた。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)