野田別天楼(のだ べってんろう、1869年7月3日(明治2年5月24日) - 1944年(昭和19年)9月26日)は、俳人。
備前国邑久郡磯上村(現・岡山県瀬戸内市)出身。本名は要吉。1897年より正岡子規の指導を受け『ホトトギス』などに投句。教職にあり、報徳商業学校(現報徳学園中学校・高等学校)校長を務めた。京阪満月会では幹事を務める。松瀬青々の『倦鳥』の同人となり関西俳壇で活躍。1934年『足日木』を、1935年『雁来紅』(がんらいこう)を創刊、主宰した。俳諧史の研究で潁原退蔵と親交があった。
(出典:Wikipedia)