“覚海”の解説
覚海(かくかい、康治元年(1142年)- 貞応2年8月17日(1223年9月13日))は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての真言宗の僧。房号は南勝房または南証房。和泉法橋とも称される。但馬国養父郡の出身。
醍醐寺定海のもとで出家して灌頂も受けたが、師定海の没後は故郷但馬国にもどり与光寺に住した。その後、高野山に上り寛秀に師事して灌頂を受け、華王院を開創して講学につとめた。この間、山城国随心院の親巌と近江国石山寺の朗澄からも灌頂を受けた。1217年(建保5年)高野山検校に任じられ、金峰山との堺相論に奔走した。
(出典:Wikipedia)
醍醐寺定海のもとで出家して灌頂も受けたが、師定海の没後は故郷但馬国にもどり与光寺に住した。その後、高野山に上り寛秀に師事して灌頂を受け、華王院を開創して講学につとめた。この間、山城国随心院の親巌と近江国石山寺の朗澄からも灌頂を受けた。1217年(建保5年)高野山検校に任じられ、金峰山との堺相論に奔走した。
(出典:Wikipedia)
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