それは十一代将軍徳川家斉とくがわいえなりの末の娘で淡路守の本家、因州鳥取三十二万五千石の城主、松平相模守慶徳さがみのかみよしのり嫁合めあわせるため、淡路守を仮親として、暫く此処ここで育てて居るのでした。