斑鳩寺いかるがのてら)” の例文
山背大兄王は胆駒をで、従容しょうようとして斑鳩寺いかるがのてら(法隆寺)に入られる。やがて入鹿の軍勢が寺を包囲したとき、侍臣をして「吾が一身をば入鹿にたまふ」と告げられ、一族とともに自頸じけいされたのである。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)