悲田院ひでんいん)” の例文
なお非人ということの意味を、もっとも明瞭に説明しうるものは、徳川時代における諸国のお救い小屋の被収容者、特に京都の悲田院ひでんいんの被収容者であります。
京職は、病人や飢餓の者を、洛外の施薬院せやくいん悲田院ひでんいんに、収容したが、すぐ入れきれなくなり、さらに、関をこえて、地方の飢民まで、都にはいり込んでくる。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
つまり悲田院ひでんいんを個人の手でやらうといふわけで、これも児玉の理想主義のあらはれと見れば見られるが、何といつても苦しまぎれの手段であることは否めない。
地獄 (新字旧仮名) / 神西清(著)
しかし施薬院せやくいん、療病院、悲田院ひでんいんなど、彼らのための施設は、荒れはてていた。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)