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悲田院
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ひでんいん
ふりがな文庫
“
悲田院
(
ひでんいん
)” の例文
なお非人ということの意味を、もっとも明瞭に説明しうるものは、徳川時代における諸国のお救い小屋の被収容者、特に京都の
悲田院
(
ひでんいん
)
の被収容者であります。
融和問題に関する歴史的考察
(新字新仮名)
/
喜田貞吉
(著)
京職は、病人や飢餓の者を、洛外の
施薬院
(
せやくいん
)
と
悲田院
(
ひでんいん
)
に、収容したが、すぐ入れきれなくなり、さらに、関をこえて、地方の飢民まで、都にはいり込んでくる。
平の将門
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
つまり
悲田院
(
ひでんいん
)
を個人の手でやらうといふわけで、これも児玉の理想主義のあらはれと見れば見られるが、何といつても苦しまぎれの手段であることは否めない。
地獄
(新字旧仮名)
/
神西清
(著)
しかし
施薬院
(
せやくいん
)
、療病院、
悲田院
(
ひでんいん
)
など、彼らのための施設は、荒れはてていた。
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“悲田院”の解説
悲田院(ひでんいん)は、仏教の慈悲の思想に基づき、貧しい人や孤児を救うために作られた施設。
(出典:Wikipedia)
悲
常用漢字
小3
部首:⼼
12画
田
常用漢字
小1
部首:⽥
5画
院
常用漢字
小3
部首:⾩
10画
“悲田院”で始まる語句
悲田院址