応神おうじん)” の例文
わが国の昔にも、応神おうじん天皇が兄皇子の大鷦鷯おおささぎきみをさしおいて、末皇子の菟道うじきみを皇太子とお定めになりました。
しかし支那の書物が、正式にわが国に伝来したのは、応神おうじん天皇の十六年二月(皇紀九四五西暦二八五)博士王仁わにが百済から、「論語」と「千字文」とを持参して、朝廷へ献上したのが最初である。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)