徽典館の少年たちが家路へ帰りがけに、猛然たる犬の吠え声に驚かされたのは、牢内にこの騒ぎが起ったのと前後しての時であります。
「さあ、お前が躑躅ヶ崎へ行くというなら、拙者も徽典館へ行くことをやめて、お前と一緒に躑躅ヶ崎へ行く、案内してくれ」
徽典館の少年たちの一組は、こんなことを話し合いながら靄の中を歩いて行きました。
“徽典館”の解説
徽典館(きてんかん)は、江戸時代から明治時代初期にかけて、甲斐国(山梨県)の甲府にあった学問所。山梨大学の前身にあたる。
城下町たる甲府の中心であった甲府城郭内(甲府市丸の内一丁目)に置かれ、四書五経を中心とする朱子学や政道論が教えられた。「徽典」とは『書経』舜典にある「慎徽五典」すなわち「慎みて五典を徽(よ)くす」に由来する。
徽典館があった甲府市丸の内一丁目は、甲府城二ノ堀で囲郭された郭内の武家地であった。甲府勤番士の屋敷が散在していたほか、西側には甲府勤番追手役宅、その南には薬園が所在していた。徽典館の西には追手小路が通り、北側には甲府城追手門があり、内堀で囲郭された内城に至る。近代には武家地が払い下げられ官公庁用地として開発され、跡地には老舗旅館が営業している。
(出典:Wikipedia)
城下町たる甲府の中心であった甲府城郭内(甲府市丸の内一丁目)に置かれ、四書五経を中心とする朱子学や政道論が教えられた。「徽典」とは『書経』舜典にある「慎徽五典」すなわち「慎みて五典を徽(よ)くす」に由来する。
徽典館があった甲府市丸の内一丁目は、甲府城二ノ堀で囲郭された郭内の武家地であった。甲府勤番士の屋敷が散在していたほか、西側には甲府勤番追手役宅、その南には薬園が所在していた。徽典館の西には追手小路が通り、北側には甲府城追手門があり、内堀で囲郭された内城に至る。近代には武家地が払い下げられ官公庁用地として開発され、跡地には老舗旅館が営業している。
(出典:Wikipedia)