さとされてゐる。これは富木常忍入道どきじやうにんにふだうが母のこつをもつて、身延にゆき、日蓮上人に母死去のせつ妻の尼御前あまごぜんがよく世話したことや、妻が病氣がちだつた事をはなしたので書かれたものと見える。