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大垣藩
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おおがきはん
ふりがな文庫
“
大垣藩
(
おおがきはん
)” の例文
十一月二十七日に中津川を出立した浪士らは
加納藩
(
かのうはん
)
や
大垣藩
(
おおがきはん
)
との衝突を避け、本曾街道の赤坂、
垂井
(
たるい
)
あたりの要処には
彦根藩
(
ひこねはん
)
の出兵があると聞いて、あれから道を西北方に転じ
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
中には、
大垣藩
(
おおがきはん
)
のように直接に伏見鳥羽の戦いに参加して、会津や桑名を助けようとしたようなところがなくもない。しかし、京都の形勢に対しては、各藩ともに多く観望の態度を執った。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
大垣藩
(
おおがきはん
)
の千余人、水戸藩の七百人が着港した。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
“大垣藩”の解説
大垣藩(おおがきはん)は、美濃国大垣周辺を支配した藩。藩庁は大垣城(今の岐阜県大垣市郭町2丁目)に置かれた。
江戸時代初期には短期間で藩主として4家が交替したが、寛永12年(1635年)以降は戸田家が10万石で入り、幕末・明治維新期まで存続した。
(出典:Wikipedia)
大
常用漢字
小1
部首:⼤
3画
垣
常用漢字
中学
部首:⼟
9画
藩
常用漢字
中学
部首:⾋
18画
“大垣”で始まる語句
大垣
大垣町
大垣伊右衛門