声聞身シヨモジン)” の例文
だが、大寺の声聞身シヨモジンなる奴隷が、唱門師(しよもじん)の字を宛てられる様になつたのは、陰陽家の配下になつた頃からの事である。
熊野念仏は、寺奴声聞身シヨモジンから大宗派を興す動機になつた。熊野田楽のふりと、熊野巫覡の霊感とが、ヒジリ階級の念仏衆の信仰・行儀に結びついたのだ。
やはり単に、寺奴なる「童子声聞身シヨモジン」の類であつたらしい。念仏の唱文に、田楽の踴躍ユヤク舞踊を合体させたものが、霊気退散の念仏踊りになつたらしい。