さうでなければ、全心全力を傾注する、全人的な、最も眞率眞劍な、最も無餘裕な肉靈合致を悲痛の自我に實現することは出來ないこと。
渠等にして、若し活眼を開らく時があつたら、僕の肉靈合致説の如きは、わが國の神代に既に行はれてゐたことを知るだらうよ。
義雄も女もしくは女の幻影がなければその生活に元氣がないが、その元氣は性慾並びに生々慾が軍事、政治、實業、文藝などを合致したものであると信じてゐる。
然し、渠は、腹の中では、その實、最も反對に、自己をその根柢から動かす知、情、意合致の悲痛を、過去や未來の記憶や希望の餘裕なきほどに、深く感じてゐたのである。