勝義諦しょうぎたい)” の例文
ここに現象と本体との区別は全然撥無はつむされる。世俗諦せぞくたい(シナにおいてはこの語は自然的態度における真理の義に解された)と、勝義諦しょうぎたいあるいは第一義諦との区別もない。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)