“ながのいみきおきまろ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
長忌寸奥麻呂20.0%
長忌寸奥麿20.0%
長忌寸奧麻呂20.0%
長忌寸意吉麻呂20.0%
長忌寸意吉麿20.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
長忌寸奥麻呂ながのいみきおきまろ(意吉麻呂)の歌である。神が埼(三輪崎)は紀伊国東牟婁むろ郡の海岸にあり、狭野さぬ(佐野)はその近く西南方で、今はともに新宮市に編入されている。「わたり」は渡し場である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
大宝二年(文武)に太上天皇おおきすめらみこと(持統)が参河みかわに行幸せられたとき、長忌寸奥麿ながのいみきおきまろ(伝不詳)の詠んだ歌である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
この歌は長忌寸奧麻呂ながのいみきおきまろ(傳記未詳)が文武天皇三年正月、難波宮に行幸あそばした時に供奉して、詔を奉じて詠んだものである。(大體さういふ學説になつてゐる)。
愛国百人一首評釈 (旧字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
長忌寸意吉麻呂ながのいみきおきまろが詔にこたえ奉った歌であるが、持統天皇か文武天皇か難波宮(長柄豊崎宮ながらのとよさきのみや。現在の大阪豊崎町)
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
「磐代の野中に立てる結び松心も解けずいにしへ思ほゆ」(同・一四四、長忌寸意吉麿ながのいみきおきまろ)、「つばさなすあり通ひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ」(同・一四五、山上憶良)
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)