“いかるがのみや”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
斑鳩宮66.7%
伊加留加宮33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
聖徳太子の斑鳩宮いかるがのみやは今の堂の配置とは異なっていたらしい。しかし講堂たる伝法堂は橘夫人の邸宅より移した住宅建築である。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
ついに皇極天皇の二年十一月、入鹿は軍勢をして斑鳩宮いかるがのみやを襲わしめこれを灰燼かいじんに帰した。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
斑鳩宮いかるがのみや
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
「飛鳥天皇御世癸卯年十月十四日、蘇我豊浦毛人とゆらのえみし大臣ノ児、入鹿臣□□林太郎、伊加留加宮いかるがのみやニ於テ山代大兄及其ノ昆弟等合セテ十五王子ことごとク之ヲ滅ス也」