頼朝よりとも)” の例文
そのうちで一ばん上のにいさんの義朝よしともは、頼朝よりとも義経よしつねのおとうさんにたる人で、なかなかつよ大将たいしょうでしたけれど、それよりももっとつよ
鎮西八郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
それから今の五ヵ村が何千石だかどれだけ人口があるか忘れましたが、五ヵ村が頼朝よりとも時代から今日にいたるまで年々米を取ってきました。
後世への最大遺物 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
『新古今集』撰定の勅の下る足かけ十年前、後鳥羽院は十二歳の年上であらせられる。父は源頼朝よりとも、母は北条政子ほうじょうまさこ、幼名千幡せんまん
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
まず、八月七日には、関東の伊豆に、頼朝よりとも義朝よしとも滅亡以来、絶えて久しく、このあめしたに見なかった白旗を半島にひるがえす。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
吾人はその経歴や功績を見てたどるべき道を知る、前弁士は清盛きよもり頼朝よりとも太閤たいこう家康いえやす、ナポレオンを列挙し吾人の祖先がかれらに侵掠しんりゃくせられ
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
重兵衛 その温泉場から遠くない、土肥といの杉山という所です。頼朝よりともが隠れたという大杉が先頃まで残っていましたが、今はもう枯れてしまいました。
影:(一幕) (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その噂とともに右大将家は病気になって、祈祷医療きとういりょうに手を尽していると云う噂も伝えられた。しかし、右大将頼朝よりともは、実際それ程の病気ではなかった。
頼朝の最後 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
一四三頼朝よりとも東風とうふうきそひおこり、一四四義仲よしなか北雪ほくせつをはらうて出づるに及び、平氏の一門ことごとく西の海にただよひ、つひに讃岐の海志戸一四五八嶋にいたりて
ハムレットの墓というより沙翁の記念碑と称すべきだろうが、それにしてもいささか頼朝よりとも公十八歳の頭蓋骨の感がないでもない。が、旅行者に批判は必要ない。
踊る地平線:05 白夜幻想曲 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
しかし、伊豆いずならば頼朝よりとも覇府はふにちかく、また北条氏ともふかい関係があった。そこに昔なつかしい鎌倉の歌が、大事に保存せられていたとしてもふしぎはない。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
少年時代の頼朝よりともの胆力、阿新丸くまわかまるの冒険力、五郎十郎の忍耐力など日本少年は決して弱虫ではない。
空襲警報 (新字新仮名) / 海野十三(著)
曾我そが討入うちいりがある。五郎も十郎も頼朝よりとももみな平等に菊の着物を着ている。ただし顔や手足はことごとく木彫りである。その次は雪が降っている。若い女がしゃくを起こしている。
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
発し長い間黙然と沈思ちんししていた佐助はこの世に生れてから後にも先にもこの沈黙の数分間ほど楽しい時を生きたことがなかった昔悪七兵衛景清あくしちびょうえかげきよ頼朝よりともの器量に感じて復讐の念を
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
平清盛たいらのきよもりの専横に抗して、頼政よりまさをはじめ、伊豆の頼朝よりとも、木曾の義仲よしなか等源氏の一党が、以仁王もちひとおう令旨りょうじを奉じて一斉いっせいに挙兵した年である。この前後は東大寺の性質もむろん変っていた。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
ってのとおりこの狂言きょうげんは、三五ろうさんの頼朝よりともに、羽左衛門うざえもんさんの梶原かじわら、それに太夫たゆう鷺娘さぎむすめるという、豊前ぶぜんさんの浄瑠璃じょうるりとしっくりった、今度こんど芝居しばいものだろうじゃねえか。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
頼朝よりとも公と不和になられた義経よしつね公が、弁慶べんけい亀井かめい伊勢いせ駿河するが常陸坊ひたちぼうの四天王を引きつれて陸奥みちのくへ下向される。一同は山伏に姿をやつしている。が、こうしたことは鎌倉に聞えている。
頼朝よりともは、前車の覆轍に鑑みて、容易に鎌倉を離れなかつた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
毛利右馬頭うまのかみ殿にも、秀吉が存分の次第、御覚悟なされ候へば、日本の治、頼朝よりとも以来、いかでまさしるものあるべきや。よくよく御量見専用に候ふ。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『新古今集』では歌人として名のたかかった源三位頼政げんざんみよりまさ、平家方では忠盛ただもり、鎌倉幕府方では頼朝よりともの三人で、頼朝すら一首しか取られていない。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
清盛きよもり頼朝よりとも太閤たいこう家康いえやす、ナポレオンが生まれなければ、他の英雄が生まれて天下を統一するであろう、非凡の才あるものが凡人を駆使くしするのは
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
牛若うしわかもなく元服げんぷくして、九郎義経くろうよしつねのりました。そしてにいさんの頼朝よりともをたすけて、平家へいけをほろぼしました。
牛若と弁慶 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
頼朝よりともが機に乗じて東国から兵を挙げ、義仲よしなかが北国から雪をけたてて京へのぼるにおよんで、さしもの平家一門も都をおちて西の海にのがれ、ついに讃岐の海
主人の頭にあるものは、つるおかの社頭において、頼朝よりともの面前で舞を舞ったあの静とは限らない。それはこの家の遠い先祖が生きていた昔、———なつかしい古代を象徴しょうちょうする、ある高貴の女性である。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ところが、将軍職名は、頼朝よりともこのかた、源系げんけいの者に限るような慣例になっている。秀吉は信長の家臣として、平氏へいしとなえていたので工合が悪い。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弁慶べんけい義経よしつねといっしょに度々たびたびいくさに出て手柄てがらをあらわしました。のち義経よしつね頼朝よりともなかわるくなって、奥州おうしゅうくだったときも、しじゅう義経よしつねのおともをして忠義ちゅうぎをつくしました。
牛若と弁慶 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
そして源頼朝よりともが鎌倉へ幕府の基礎を置いた元暦げんりゃく元年に、有名な『元暦校本万葉集』が成った。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
家康いえやすが旧恩ある太閤たいこう遺孤いこを滅ぼして政権を私した、そうして皇室の大権をぬすむこと三百余年、清盛きよもりにしろ頼朝よりともにしろ、ことごとくそうである、かれらは正義によらざる英雄である
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
時勢は、源頼朝よりとも赫々かっかくたる偉業を迎えながら、一方には、その成功者以上の敗亡者を社会から追いだしていた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
むかし源氏げんじ平家へいけ戦争せんそうをして、おたがいにったりけたりしていたときのことでした。源氏げんじ大将たいしょう義朝よしともには、悪源太義平あくげんたよしひら頼朝よりとものほかに今若いまわか乙若おとわか牛若うしわか、という三にん子供こどもがありました。
牛若と弁慶 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
その日、清経きよつねともなわれて、静は、頼朝よりとも夫妻の前に出た。——初めて、実にきょう初めて、わが良人と血をわけている兄なる人と、あによめの君とを見たのであった。
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
吉光御前の血統ちすじは六波羅のむところとなって、義朝の子たちである——頼朝よりとも遮那王しゃなおう(義経)のような厳しい追放をうけないまでも、何らかの監視と、束縛に
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宇治川の合戦に、名馬摺墨するすみに乗って聞えを取り、その後、頼朝よりともにもおおぼえのよい梶原景季かじわらかげすえであった。
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「早速ですが、かねて頼朝よりとも公から、貴方へ御内命のあった一儀、何故の御延引かと、お怒りでござる。一体、いつお討果しになるお心か、しかと、その儀を伺いに参った。御返答を賜りたい」
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
見ると、その千ねん山毛欅ぶなッこに、石橋山いしばしやま頼朝よりともが身をかくしたような洞穴うつろがある。そのまッくらな洞穴のなかで、なにか、コトリと音がした。コトコトとかすかにきこえたものがあった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
神官達の案内で、頼朝よりとも狩倉かりくらのあとをただし、白糸の滝を見物し、また、しばし浮島うきしまはらに馬を立てて、うすずく夕富士にわかれを告げながら、やがて大宮の宿駅しゅくえきへさしてこの行軍はゆるやかに流れていた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)