那珂なか)” の例文
いいにくそうに伝兵衛がいうと、お那珂なかは、畳へ手をついて、何かいうつもりなのが、そのまま、泣きじゃくって、してしまった。
旗岡巡査 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
海に河童のいる話は、この明石のカワカムロと、もう一つ常陸の那珂なかの港の海で河童をとった話が『善庵随筆』に書いてある。
故郷七十年 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
父は六歳になった筆者を背中に乗せて水泳を試み、那珂なか川の洲口すぐちを泳ぎ渡って向うの石の突堤に取着き、直ぐに引返して又モトの砂浜に上った。
父杉山茂丸を語る (新字新仮名) / 夢野久作(著)
六年には一旦いつたん京都へ上つて歸つた如水と相談して、長政が當時那珂なか郡警固村の内になつてゐた福崎に城を築いた。これが今の筑紫ちくし郡福岡である。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
まだ板干をしているような紙の村は、正直な仕事を見せてくれます。本場は久慈くじ郡の西野内や那珂なか郡の嶐郷りゅうごう村であります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
川内せんだい』『那珂なか』『阿武隈あぶくま』——そんな五千トンぐらいの軽巡洋艦が、見はり役になって、紅玉島の近くまで出かけている。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
大きな川の鮎は、それとはちがふ。利根とね川、荒川、那珂なか川のやうに河口から上流数里乃至二三十里の間に潮の影響のある川は、川底が小砂であるから水垢がつかない。
水垢を凝視す (新字旧仮名) / 佐藤垢石(著)
栃木県那須郡那珂なか村にて聞くところによると、某家の庭前に、晴天にて一点の雲なきにもかかわらず、雨が降るとの評判が伝わり、妖怪の所為のごとくに申し立つるから
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
那珂なか阿武隈あぶくま、近くは名取川に至るまで、大小いくつかの川を渡っては来ているけれども
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
おぬい 那珂なかみなとの叔父さんの処で、兄さん本当に堅くなっておくれよ。
瞼の母 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
光圀は折ふし那珂なか夤賓閣いんひんかくにいたので、庭の砂上に縄付なわつきを曳かせ、自身刀を取って、長作のうしろへ迫ったが、ふと、従士じゅうし中村新八なかむらしんぱちをふり向いて
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それも目堰めせき網といって一番網目の小さい網をセッセと自分でつくろって、那珂なか川の砂洲を渡り歩いたものであった。
梅津只円翁伝 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
アクツと言う語は今日まで広く東国に行われた普通名詞であるから、別に記録の根拠を求める必要もないようであるが、『常陸国志』巻三、那珂なか常石ときわ郷の条に
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
那珂なか瓜連うりづら村、相田酒造店に、ツイに見なれぬ、年のころ三十一、二の男が入り来たり、「お酒を三円下さい」と十円札を一枚投げ出したゆえ、店の者が早速八升樽に入れ
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
烏山は同じ那須郡にある町で、那珂なか川のほとりにあります。川向うは茨城県でありますが、この辺一帯に紙漉場が少くありません。有名なのは「程村ほどむら」と呼ぶこうぞの紙であります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
で、那珂なか領の国主佐竹末賢さたけすえかた殿が、はるばる領下の祈願所へ京都から召し呼ばれ、国中の山伏の総司そうつかさとしてあがめ、末派十二坊の支配をさせているのでござります
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
常陸ひたち那珂なか郡の山村ではツギノコといえば杉菜を意味し、土筆はこれをツギノコノハナと呼んでいる。
天下の城のしゃちほこの代りに、満蒙露西亜ロシアの夕焼雲を横目ににらんで生れたんだ。下水どぶの親方の隅田川に並んでいるのは糞船くそぶねばっかりだろう。那珂なか川の白砂では博多織を漂白さらすんだぞ畜生……。
近世快人伝 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
言葉の意味はきびしいが、粂之介のおもりは温かだった。お那珂なかの顔を見ると、ねんごろにこうさとすのだった。
旗岡巡査 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(広益俗説弁遺篇。茨城県那珂なか郡柳河村青柳)
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
那珂なかの月は、老公の好きなものの一つであった。月といえば世人は秋の月を賞するが、老公にいわせると
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
下野那須郡那珂なか村大字三輪字禰柄蒔ねがらまき
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
那珂なかは、ふいに足を止めた。その足の先に、あやしい光を帯びた毛虫が二、三匹うごいている。
旗岡巡査 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
マスズ 茨城県那珂なか行方なめがた
先ごろから親鸞調伏ちょうぶく護摩ごまいて、一七日いちしちにちのあいだ、必死の行をしていた那珂なか優婆塞院うばそくいん総司そうつかさ——播磨公弁円はりまのきみべんえんは、銀づくりの戒刀かいとうを横たえて、そこのむしろに坐っていた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
時に酒を呼んで、那珂なか夤賓閣いんひんかくに、人間の至楽を極めるかのような閑日にあってもである。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)