臙脂べに)” の例文
第一の侍女は小さな臙脂べにの器物を、第二の侍女は髪針ヘヤピンの小箱を、第三の侍女は光った赤いリボンのついた高い帽子をささげていた。
裲襠うちかけのすそを音もなく曳いて、鏡のまえに一度坐る。髪の毛、一すじの乱れも、良人を暗くするであろう。臙脂べにも、せていてはならぬ。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
羽にも腹の下にも塗ったままの臙脂べにいていた。九兵衛はふと気になった。蠅は指の下をすべり抜けて彼と女房の頭の上あたりを静に飛んだ。
蠅供養 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
彼女の皮膚はだは厚化粧をしているかのように白かった。その頬と唇は臙脂べにをさしたかのように紅く、そのまつげと眉は植えたもののように濃く長かった。
復讐 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
白粉おしろい臙脂べにや香油などのにおやかな香に包まれていると、なにやら若やいだ浮き浮きするような気持になり、思わず刻の経つのを忘れることもあった。
日本婦道記:風鈴 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
色は桃のやうに濃くも無く、白い磁器の上に臙脂べにを薄く融かしたやうな明るさと可憐さとを持つた紅である。
紅梅 (旧字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
その女は臙脂べにを塗って白粉おしろいをつけて、婚礼に行く時の髪をって、裾模様すそもよう振袖ふりそでに厚い帯をめて、草履穿ぞうりばきのままたった一人すたすた羅漢寺らかんじの方へのぼって行った。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
色白で円顔で、鼻高く唇薄く臙脂べにけたように真紅である。そうしてその眼は切れ長であったが、気味の悪い三白眼で、絶えず瞳の半分が上瞼うわまぶたに隠されている。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
宗右衛門町の脂粉の色を溶かしたのであろうか、水の上に臙脂べにを流す美しい朝焼けの空。
大阪の朝 (新字新仮名) / 安西冬衛(著)
ラードで伸ばした臙脂べにのはいったブリキ缶を手にした、そんじょそこらの月並みの職人とはちがって、れっきとした見識を具えた男であり、まあ一口に言えば美術家なのであった。
妖艶な臙脂べに色の夜会服を纏ったスペイン人らしい若い女や、朱鷺とき色の軽羅うすものをしなやかに肩にかけている娘、その他黄紅紫白とりどりに目の覚めるような鮮な夜会服を着た美しい女達が
日蔭の街 (新字新仮名) / 松本泰(著)
源氏車や菊寿きくじゅ提灯ちょうちんに火が入って、水色縮緬みずいろちりめん緋羅紗ひらしゃの帯が、いくつもおぼろ雪洞ぼんぼりにうつって、歌吹かすいの海に臙脂べにが流れて、おこんが泣けばみつぐも泣く頃には、右の間の山から、中の地蔵、寒風さむかぜの松並木
大菩薩峠:06 間の山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
母の鏡台から臙脂べにをとり出して、半紙に、それら北斎の揷絵をうつしていましたが、母は帰って来られると必ず、二、三枚の絵を土産に下さいましたことも、今は遠い思い出となってしまいました。
つややかな黒髪を惜気もなくグッと引詰ひっつめての束髪、薔薇ばら花挿頭はなかんざししたばかりで臙脂べにめねば鉛華おしろいけず、衣服みなりとても糸織の袷衣あわせに友禅と紫繻子の腹合せの帯か何かでさして取繕いもせぬが
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
………厚化粧の両頬へ臙脂べにを染めて、こつてりと口紅をさした富千代と云ふのが、都踊の帰るさに、絵の中から抜け出したやうな顔をして開け放した障子の板敷の闇へ梯子段の下から音もなく現れる。
青春物語:02 青春物語 (新字旧仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「あなたは臙脂べにがお好き?」と、女はふと訊ねた。
新婚旅行 (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
家具衣裳は買い込むし、髪には珠を、くつには珊瑚さんごを、食べ物の贅沢ぜいたく臙脂べにおしろいから香料など、母娘おやこ二ツの鏡台の飾りたてはいうまでもない。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
骨ぼその手弱たおやかなからだつきで、濃すぎるほどの眉にも臙脂べにをさしたようなあかくちもとにも、どこかしらんもろい美しさが感じられる、直輝は妻の眼もとを見てうなずいた。
日本婦道記:梅咲きぬ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「おんなじ蠅が戻るか、戻らんか、ためして見る、お豊、臙脂べにを持っておいで」
蠅供養 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
臙脂べにを塗ってはいなかったが、臙脂べにを塗っているよりも美しかった。
生死卍巴 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
こんなに真赤まつか臙脂べにれるのを。
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
朝風呂につかって、厚化粧して、臙脂べにを点じて、髪も衣裳もそッくり直した見返りお綱。パチンと紺土佐こんどさの日傘を開いて、住吉村から出て行った。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
忘れるとすぐ臙脂べに白粉おしろいをつける、肌着もなかなか脱ぎ替えない、足袋は裏の黒くなるまではく、児が泣いたりぐずったりすると、時間に構わず乳を含ませる、添乳をしたまま寝たがる
初蕾 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
臙脂べにはいつでもれるとばかり
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
妻の桔梗へ、都のみやげをと、都の臙脂べにだの、香油だの、めずらしい織物など買って、いそいそ、暮した。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
立派な臙脂べにれるのに。
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
法事姿なので、強い色彩や濃粧は嫌っているが、一点の臙脂べには唇に濃く、ほんのりと薄化粧をいた白珠のおもむきが、むしろ日頃の艶姿よりはなまめかしい。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三位さんみつぼね、阿野廉子やすこは、仰せと聞くと、いま夕化粧もすましたばかりなのに、もいちど櫛笥くしげへ入って、鏡をとりあげ、入念にまゆずみ臙脂べにをあらためてから立った。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「…………」答えもしないで臙脂べにをさしている、鏡の中のお米の目、やや狂恋きょうれんかたちがある。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
四十に近い年になっても、娘の朱実に劣らない臙脂べに紅々あかあかと溶かしている唇。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
青いほどな唇の臙脂べにや化粧のかげにはそんな容子もうかがわれる。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)