父御ててご)” の例文
「なに、加賀百万石の御家中とな。どことのうしとやかなあたり、育ちのよさそうな上品さ、さだめて父御ててごは大禄の御仁であろう喃」
第一おまえが奉公に出たら、病気の父御ててごはなんとなる。誰が介抱すると思うぞ。わが身の出世ばかりを願うて、親を忘れては不孝じゃぞ
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ああ、みんな、父御ててごのお引き合せ、御亡魂ごぼうこんの御念力じゃ——このわしの前で、二人が二人べらべらと、昔の悪事をしゃべり出そうとは——
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
私の様な不運の母の手で育つより継母御なり御手かけなり気にかなふた人に育てて貰ふたら、少しは父御ててご可愛かわゆがつて後々のちのちあの子の為にも成ませう
十三夜 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
父御ててごさんがおゆうさまの良人と同じ名だっただけで、別人なのですよ。わっしどもが世話に立っている柘植の家とは、何のかかわりもねえのですよ
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「むつらの御方おんかたいとやら、おさいの局の父御ててご、百合の小女房の良人、またわたくしのただ一人の身寄りも」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
老いたる侍 ……不、不、不便ふびんながら其方の命は、父御ててごに代りこの叔父が……え、思ひ知れ、天の罰ぢや。
南蛮寺門前 (新字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
上つ方の郎女が、ざえをお習い遊ばすと言うことが御座りましょうか。それは近代ちかつよ、ずっとしもざまのおなごの致すことと承ります。父君がどうおっしゃろうとも、父御ててご様のお話は御一代。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
斬られてまでも尽しておるのじゃ。忠義のために殺された父御ててごへ、涙を流すなど、草葉の蔭で嘆かれるぞ。喜べ。一家、一族、悉く殺されても、意地と、忠義を貫くのが、武士の慣わしじゃ
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
「はて、いずれのじんかな? が、わしにはそなたの護り袋の中の、大方おおかた父御ててご遺言ゆいごんらしいものの文言もんごんさえ、読めるような気がするのじゃ」
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
父御ててごの相良寛十郎殿のことも、やっと眼星がつきましたぞ。そうではないかと思っておったとおりであった。ま、ゆるゆる話そう、これから深川か」
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
わ、わ子様さえ、じつの父御ててごのお膝へおわたしすれば、藤夜叉は、この藤夜叉などは、もう、どうなってもいといません。和子っ、そなたの父御は、あの高氏さま。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「お前の父御ててごの病気も長いことじゃ。きょうでもう幾日になるかのう」と、彼は歩きながら訊いた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
住まいはつい向こう横町の裏店うらだなでござりまするが、働き盛りの父御ててごがこの春ぽっくりと他界いたしましてからというもの、見る目もきのどくなほどのご逼塞ひっそくでござりましてな
千代 今日は最勝寺さまの御会式ぢやさかいに、死んだ娘と、この子の父御ててご供養くやうしておぢやつた。さと母様かかさまきつう止めるゆゑ、つい遅うなつて、只今帰るところぢや。してお前は何処からぢやえ。
南蛮寺門前 (新字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
父御ててごの墓参りもするかの」
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
いそぐでないぞ! 心を引きしめて、わし自身が身に覚えた、長い長い間の苦悩をも、父御ててごの恨みに加えて、こやつ等に思い知らせてつかわそう。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
「そうであろう。美しかったな。ひとであったぞ。父御ててごは、かかさんのことを話されなかったかな」
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「あなたは父御ててごのおつもりか。その父御があの和子に、何を親らしいこと一つでもしたでしょう。けだものすらも、子は可愛がる。子を質として人手には渡すまいに」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これもいっしょにお見せ申したら、罪ないお父御ててごの閉門も解かれましょうし、お殿さまおみずから残った悪人ばらをご成敗あそばすでしょうから、お家もこれでめでたしとなりましょうよ。
父御ててごはあの明くる年に死なれたそうな」と、彼は声を沈ませて言った。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そこもとの父御ててご、江戸根津あけぼのの里なる小野塚家にあると聞きおよび、急遽きゅうきょ、四人の高弟をしたがえ、平鍛冶中より筋骨のすぐれし者をえらんで駕籠屋に仕立て
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
たとえ、まこと父御ててごが、たれであろうと、和子様だけは、まちがいなく、一個のではおわさぬか。手も脚も、片輪かたわじゃおざらぬ。こころを太ぶとと、おもちなされい。
忠義無類のあんたのお父御ててごさまを閉門のうきめに会わせたんでしょうね
……この新田は、父御ててごの足利どのとは、仲のよい友達じゃ。先祖もひとつの家同士よ。……されば和子もこの陣中では、父御になり代って、一方のおん大将であらねばなるまい。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「八丁堀からはるばるお迎いに参った右門でござります。お妙さまのためにはお父御ててごが島田かつらをご用意なさいまして、婚礼のしたくができていましょうから、さ! いっしょにお越しなされませ」
「お別れした後、藤夜叉が生んだ小殿のお子です。ひと目、父御ててごにお会わせしたさに」
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いいえね、そのご家老さまのところのべっぴんのお嬢さまがね、その秋田犬とふたりして、毎晩毎晩夜中近くになってから、お父御ててごさまの蟄居閉門が一日も早く解かれるようにと、こっそりご祈願かけにほこら回りを
……そなたの父御ててごは、乱国の野武士で、文字もろくに書けなかったお人だから、元より文章も読みづらく、おかしな節々もあるけれど、人に示そう為でなく御自分の懺悔ざんげを、真実こめて
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まことに、そもじのお命は、御仏みほとけのお護り、人業ひとわざではない。——それにつけ、尼がゆうべも申したよう、仏果をおそれ、菩提ぼだいに心を染め、行末とも、亡き母者や父御ててご回向えこうに一生をささげなされよ
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そなたの父御ててごも、いくさでお果てなされたが、その父御は、そなたの不具を、自分のなしたごうのむくいか、遠い武門のおやどもが、多くの人々をあやめたゆえの因果かと、よう仰っしゃっておいでだった……。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
母である以外のなにものでもなく「仰っしゃるまでもございません。……ただいつになったら、あの和子が、晴れて父御ててごに、ご対面できるのか。会わせて上げる日が来るのか。いとしいと思うにつけてそれだけが」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
身にやどしたおたね父御ててごを知らぬものになる。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さあて。そこまでは分ってないが、質子が脱け出したのは、父御ててごのさしずにちがいない、すわやもう、足利のむほんときわまッたぞ、と執権御所のご評議やら、すぐ八方へ追手が駆けるやらで……それでこんな、馬ぼこりが舞う始末じゃげな」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)