海牙ハーグ)” の例文
出来るだけ居中きょちゅう調停、仲裁裁判の如き平和的方法に依らむことを決議し、そして永久仲裁裁判所を海牙ハーグに設置する事となったが
文明史上の一新紀元 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
(車は和蘭の路に入れば、海牙ハーグ郊外は霞がたちこめていた。昨夜からの霖雨がやみ、春の水が低い畑にみちているのである。)
南半球五万哩 (新字新仮名) / 井上円了(著)
前年の海牙ハーグにおける万国平和会議のように形式的なものでなくて、人道的平和運動の実際的要求が欧洲の戦場とその背後の交戦国民との間に血に染りながら動いていると思います。
三面一体の生活へ (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
しかして、その第一回の海牙ハーグの平和議会をへだたわずかに九年の後には、日露の戦争が起ったのである。これも日本から言えば、平和を破ったということの責任は決してない。
平和事業の将来 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
花の咲きほこる巴里パリの街路、月の光のもと倫敦ロンドン橋で船を下りる。獅子が岡ライオンヒルのほとりで古戦場(ワーテルロー)の跡をたずね、海牙ハーグの街では先人賢者(スピノザの銅像)をおとなう。
南半球五万哩 (新字新仮名) / 井上円了(著)
(遠く遺跡をたずねてオランダ東部に入る。スピノザの像は海牙ハーグ市街の中に立っている。彼は卑賤より身をおこして碩学と称せられ、まさにスピノザ翁もまた一英雄たるを知るべきである。)
西航日録 (新字新仮名) / 井上円了(著)
そうすると、平和の主唱者は、平和の攪乱者であったということになる。その次に、第一回の海牙ハーグの平和議会は、誰が主唱者であったかというと、諸君もご承知の通り、露国皇帝であった。
平和事業の将来 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
この第一回万国平和会議は千八百九十九年五月十八日から和蘭オランダの首都海牙ハーグに開かれ、日本、独逸ドイツ、北米合衆国、墺太利匈牙利オーストリアハンガリー白耳義ベルギー、清国、丁抹デンマーク西班牙スペイン仏蘭西フランス希臘ギリシャ伊太利イタリア、ルクセンブルグ
文明史上の一新紀元 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
かもかく殺人器の進歩しつつある一方に於て、人類の道義的観念は益々向上し、近時、ことに海牙ハーグに於ける国際平和会議開会以後は、種々しゅじゅの方法規約を設けて戦争の惨状を軽減せんと試みつつある。
世界平和の趨勢 (新字新仮名) / 大隈重信(著)