泡沫ほうまつ)” の例文
全体として言えば、彼は瘴癘しょうれいの気よりも泡沫ほうまつを愛し、下水よりも急流を愛し、モンフォーコンの湖水よりもナイヤガラ瀑布ばくふを愛した。
未来の世まで反語を伝えて泡沫ほうまつの身をあざける人のなす事と思う。余は死ぬ時に辞世も作るまい。死んだあと墓碑ぼひも建ててもらうまい。
倫敦塔 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
御用邸に近い海岸にある荘田しょうだ別荘は、裏門を出ると、もう其処そこの白い砂地には、くずれた波の名残りが、白い泡沫ほうまつを立てているのだった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
南朝の詩人は「液体硬玉の泡沫ほうまつ」を熱烈に崇拝した跡が見えている。また帝王は、高官の者の勲功に対して上製の茶を贈与したものである。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
内に不動なるものを確立しないかぎり、その求むる喜びは泡沫ほうまつのごときものに過ぎない。彼は、そうした真理におぼろげながら気づきはじめた。
次郎物語:03 第三部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
とたんに、ざんぶと、すぐ前の川から高い飛沫しぶきがあがった。鹿之介のすがたは、その真っ白な泡沫ほうまつの中にまれていた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれどもこの条件は、あたかも一つの波、一つの泡沫ほうまつでさえもが、海というものを離れて考えられないように、それなしには人間が考えられぬものである。
人生論ノート (新字新仮名) / 三木清(著)
それは眼に見えぬ暴風に吹きまくられるの葉のような魂であった。恐怖の海に飜弄される泡沫ほうまつのような霊であった。自分がどこに居るか。何をしているか。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
しかし科学の世界ではすべての間違いは泡沫ほうまつのように消えて真なもののみが生き残る。それで何もしない人よりは何かした人のほうが科学に貢献するわけである。
科学者とあたま (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
強き大蒜ガーリックのにおいを発する硫化水素は、自然夜間に光を発するガスの泡沫ほうまつをつくり得るが、卵の腐敗したような強きにおいを発するゆえに、いわゆる真の鬼火は
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
万物は神の表現であって神のみ真実在であるとすれば、我々の個人性という如き者は虚偽の仮相であって、泡沫ほうまつの如く全く無意義の者と考えねばならぬであろうか。
善の研究 (新字新仮名) / 西田幾多郎(著)
石鹸シャボン泡沫ほうまつ夢幻むげんの世に楽をでは損と帳場の金をつかみ出して御歯涅おはぐろどぶの水と流す息子なりしとかや。
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
それらは世界の歴史においては幾千幾万となく現われ、そうして泡沫ほうまつのごとく消えて行った。だから少数者の洞察などというものも、当てにならない方が多いのである。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
肉体の欲にきて、とこしへに精神の愛に飢ゑたる放縦生活の悲愁ここにたたへられ、或は空想の泡沫ほうまつに帰するを哀みて、真理の捉へ難きにあこがるる哲人の愁思もほのめかさる。
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
さはあれ、それらももはや一つの泡沫ほうまつにすぎなかったのである。大革命とナポレオンとの二つの峰を有する世潮にすべてのものを押し流し、民衆はその無解決の流れのうちにあえいでいた。
レ・ミゼラブル:01 序 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
父のように大海の泡沫ほうまつのなかに消えて姿を見せない死、おばあさんのようにみほうけて枯木かれきのようになってたおれた生涯しょうがい昨日きのうまで元気だったのが一夜のうちに夢のように消えてしまった
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
だが、堕落ということの驚くべき平凡さや平凡な当然さに比べると、あのすさまじい偉大な破壊の愛情や運命に従順な人間達の美しさも、泡沫ほうまつのような虚しい幻影にすぎないという気持がする。
堕落論 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
まことに山の光栄は落日である、さればラスキンも『近世画家論』第二巻に、渚へ寄する泡沫ほうまつと、アルプス山頂の雪とは、海と山とを描いて、死活のわかれるところだというような意味で書いてある
雪の白峰 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
国を立って東京へ出てから、まだ二箇月余りをけみしたばかりではある。しかし東京に出たら、こうしようと、国で思っていた事は、ことごと泡沫ほうまつの如くに消えて、積極的にはなんのし出来でかしたわざも無い。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
水面に現われた泡沫ほうまつのような形相は
ルバイヤート (新字新仮名) / オマル・ハイヤーム(著)
気まま仕たいままな、享楽の灯があるし、苦悩を知らない泡沫ほうまつのような悪の仲間がおもしろそうにウヨウヨしている。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
権利が解放さるる前に、騒擾そうじょう泡沫ほうまつとがある。大河の初めは急湍きゅうたんであるごとく、反乱の初めは暴動である。そして普通は革命の大洋に到達するものである。
岩質中に含まれたガス体が外部の圧力の減った結果として次第に泡沫ほうまつとなって遊離して来る
小浅間 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
私にして現象である以上の意味をもつことができないならば永劫えいごうの時の流の一つの点に浮び出る泡沫ほうまつにも比すべき私の生において如何に多くのものがそのうちに宿されようとも
人生論ノート (新字新仮名) / 三木清(著)
冗談と云えば冗談だが、予言と云えば予言かも知れない。真理に徹底しないものは、とかく眼前の現象世界に束縛せられて泡沫ほうまつ夢幻むげんを永久の事実と認定したがるものだから、少し飛び離れた事を
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それによって、その全生涯が定まるし、また、泡沫ほうまつになるか、永久の光芒こうぼうになるか、生命の長短も決まるからである。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あたかも海辺のいわおが一時泡沫ほうまつにおおわれるがように、襲撃軍におおわれてしまったが、一瞬間の後にはまた、そのつき立ったまっ黒な恐ろしい姿を現わした。
どこをつかまえるようもない泡沫ほうまつの海におぼれんとする時に私の手に触れるものが理学の論理的系統である。絶対的安住の世界が得られないまでも、せめて相対的の確かさを科学の世界に求めたい。
相対性原理側面観 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
世の流転るてんのはげしさ、栄華えいがのはかなさ、人心のたのみなさ、なべて、かたちのあるものの泡沫ほうまつにすぎない浮き沈みであることを、余りにも、かれは見てきた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は泡沫ほうまつの一部となり、波より波へと投ぜられ、苦惨を飲む。太洋は彼を溺らさんとして、あるいはゆるやかにあるいは急に襲いかかり、その広漠は彼の苦痛をもてあそぶ。
そしてその泡沫ほうまつが消えゆくにつれて、夕ぐれの青黒い波が、モクリ、モクリと、大きな波紋はもんをえがいていたが、ジッと波の中をすかして見ると、電魚でんぎょのような光がして
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがて、嵐弦らんげんたき深湍しんたんに、白い水のおどりあがったのが見えた。そして、しばらくはえぬ泡沫ほうまつの上へ、落葉樹らくようじゅの黄色い葉や楢のがバラバラとってやまなかった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、何もかも、泡沫ほうまつに帰したように、しばらく、茫然と、いかめしい門扉もんぴながめていた。
無宿人国記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
きのう一日で、明智の存在が泡沫ほうまつのごとく、地上から抹殺まっさつされてしまった今朝、その起るときの急なるにおどろいた世人は、ふたたび、その散滅さんめつ呆気あっけなさに、茫然としているふうに見える。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もしお袖との相愛に祝福される境遇を得たら、ほかの理由はことごとく泡沫ほうまつのようなものだったことを悟ろう。青春の問題の多くがこれだ。——市十郎の場合も例外ではなかったのである。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
敗者の痛涙も、勝者の狂喜も、ひとしく、一場の泡沫ほうまつと見、あれも可笑おかし、これも可笑し、なべて酒杯さかずきのうちにいて飲まんかな人生。楽しまずしてなんの人生やある——というのである。