おし)” の例文
石田三成の水攻めにあいながらも、よく堅守して居るおし城の成田氏長の様な勇将もあったが、小田原城の士気は全く沮喪して仕舞った。
小田原陣 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そこにいまは、かのおしノ大蔵にあざむかれた吐雲斎の毛利時親が、茶いろの眸を、らんといで、太い獄格子ごくごうしに、つかまっていた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高蒔絵の足高の膳のまえ、諸事かんそな豊後守ですが、武州おしの城主で十万石、増上寺切通しの上屋敷は、みどり深い林のなか。
幻術天魔太郎 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
おしっていや、日光さまにもう半分っていう近くじゃごわせんか。てっとり早く仕事をかたづけて、けえりにゃ官費の日光参りなんて寸法はどうですかね
寛保二年に十五歳で、この登勢に入贅にゅうぜいしたのは、武蔵国むさしのくにおしの人竹内作左衛門たけのうちさくざえもんの子で、抽斎の祖父本皓ほんこうが即ちこれである。津軽家は越中守信寧のぶやすの世になっていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
よろよろと立って扉へ身をもたせた、耳を澄ますと騒動は寺の内だけではなかった、はるかに遠く、おそらくおしの城下とも思えるあたりでは陣鉦じんがねや銃声さえ聞えていた。
荒法師 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
わしア気も違いません、もとより貴方あんたさまに斬られて死ぬ覚悟で、承知して大事でえじのお皿を悉皆みんな打毀ぶちこわしました、もし旦那さま、私ア生国もとおし行田ぎょうだの在で生れた者でありやすが
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
武蔵おし産同 (水洗) 一九・六九 八・一四 〇・二〇 七一・一三 〇・四八 〇・三六
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
この点においてはおし行田ぎょうだも摂津の灘・伊丹と、功罪ともに同じといってよろしい。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
おし、川島奇北きほく邸に赴き、大利根に遊ぶ。
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
こう見えても、おれは六波羅の放免すべてを締めくくッている諜者組のかしら、本名おし大蔵だいぞうという者だ。忍というからには伊賀の産。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
錢形の親分さん、重々無理なお願ひだとは思ひますが、私を助けると思つて、一度四谷おし町までお出でを願へませんでせうか。
ぽっかりとどこからかひとりの怪しい秩父ちちぶ名物のさるまわしが、おしの城下の羽生街道口に現われてまいりました。
おしの城主成田下総守しもうさのかみ氏長も子息氏範と共に精兵五百余騎をしたがえて去り、城に残った兵はわずかに三百そこそこだった、あとは老人と幼弱者と婦人たちだけで、もちろん武器も足りなかった。
日本婦道記:笄堀 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「下赤坂のお城からこの御領内には、おし大蔵だいぞうという御家来さまが眼をひからしているってえのを、てめえ知らずに入りこんできたのか」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
繩付を下っ引に預けて、平次と八五郎が四谷おし町に飛んで行くと、正に小松屋の内情は重三郎が言ったとおりでした。
しかし、今回の三番てがらは、前回と同様捕物とりもの怪異談は怪異談でございますが、少々ばかり方角が変わりまして、場所はおひざもとの江戸でなく、武州おしのご城下に移ります。
おらあおし大蔵だいぞうの弟分、大蔵が消えたあと、放免頭となったおし権三ごんざだ。おめえたち夫婦ふたりの面あ、藤井寺のとき、この眼の奥におさめてある。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
繩付を下つ引に預けて、平次と八五郎が四谷おし町に飛んで行くと、正に小松屋の内情は重三郎が言つた通りでした。
「こは余が領国武州おしに育ちし者にそうろうも、希代なるわざ二つあり、下人に捨ておくは惜しきものと存じ、そのほう配下に差し送り候条、よしなにお差配しかるべく、右推挙候者なり」
とくにおし大蔵だいぞうにすれば、下赤坂から尾行つけて来たものを、途中、不覚にも道から崖下へ蹴落されていたことでもあるのだ。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私は四谷おし町の小松屋の一人息子で、重三郎というのだそうですが、小さいとき悪者に誘拐かどわかされて軽業小屋に売られたものらしく、今まで行方がわからなかったが、フトした事から
前回のおしの城下の捕物とりもの中でも、はっきりとそのことをお話ししておいたとおり、尋常な女では容易なことに落城いたしませんので、右門を向こうへ回してぬれ場やいろごとを知ろうとするなら
「と、出られると、こっちは学がねえんだから、このもやもやを巧くは口に出せねえが、ざっくばらんにいって、おれはおし仁義おきてを信じている」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「親分、四谷おし町の小松屋といふのを御存じですか」
これと同時に、おしノ大蔵も一群のおし手下てかをつれてこれへ姿をみせた。正成もここに初めて外界の全貌がわかった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「親分、四谷おし町の小松屋というのを御存じですか」
「は。それはいま消しとめましたが、おし大蔵だいぞうがやって来て、深夜ながらお目にかかりたいといっておりますが」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この巻では、まださして活躍していないが、おしノ大蔵などはそっくり作った人物である。当時のおしとか、密偵網のありかたなどを現すために必要だった。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そいつあ、親分も同じですぜ。おし大蔵だいぞうがまだ生きてこの世の辻を歩いているなんて聞かせても、六波羅中たれひとり、まにうける者はねえでしょう」
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それも当然で、裏金剛から葛城かつらぎ間道かんどうすべて遮断されている実状なのだ。——そんな中をもおし大蔵だいぞうなればこそ、首尾よくここまで来られたものといえよう。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これは、おしをつかって、上赤坂の水ノ手を断ったのが成功したものである。……で、次の千早城へもまた、同じ作戦が、寄手によって考えられぬことはない。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この天見あまみの雑木林をつらぬく一と筋道を縮めて、二人の両方から、おしノ大蔵とまったく同じような山伏姿をした放免仲間がおよそ十数名、じわじわ詰め寄って来ていたのだった。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「おそれ入ります。何せい、総頭そうがしらおし大蔵だいぞうが、一昨日来、消えてしまいましたので」
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おし仲間なかま”には骨肉以上な情もあるが、ややもすると“消す”という非常手段がすぐつかわれる。大蔵のその残忍性がどういうときに出るかなどは知りつくしている権三だった。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「てっきり六波羅が陥ちたものと思われます。まだおしノ大蔵のしらせはありませぬが」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その日、彼らの屋敷へも、ここへ見えた六波羅筋らしき武士が立ち廻って、そこでは露骨に、卯木夫婦のことや、おし権三ごんざに危害を加えた者の詮議だてなど、洩らしていたというのである。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おしものだ。敵の忍びに違いないわ」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)