市人いちびと)” の例文
小路を行交ゆきか市人いちびともすべてわが知れりしよりは著しく足早になりぬ。活計たつきにせわしきにや、夜ごとに集う客の数も思いくらぶればいと少し。
照葉狂言 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
銭と苦楽を一つにしているしがない一個の市人いちびととすれば、私兵の兵舎でゴロゴロしている彼ら以上にも真剣に言い争ッたのはむりではない。
日蓮宗にちれんしゅうの事だから、江戸の市人いちびとの墓が多い。知名の学者では、朝川善庵あさかわぜんあん一家いっけの墓が、本堂の西にあるだけである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
餌差えざしは無論高尚な職業ではありませんが、そう穢多の様にも賤まれません。主鷹司たかづかさの餌取は昔は随分威張って、我儘をして、市人いちびとを困らせた事がありました。
その後美濃狐は、小川の市に来なくなったので、市人いちびと達はみなよろこび合って、平かな交易がつづいた。
大力物語 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
父は米次郎といった人で、維新前までは、霊岸島に店を構えて、諸大名がたのお金御用達ごようたしを勤めていた。市人いちびとでも、苗字みょうじ帯刀を許されていたほどの家がらだったそうである。
花を持てる女 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
ヱロナの市人いちびと石榻せきたふに坐せるさまは、猶いにしへのごとくにて、演ずる所の曲をば、「ラ、ジエネレントオラ」と題せり。役者の群は、ヱネチアにて見しアヌンチヤタが組なりき。
この市人いちびとらは大抵インド部のヒマラヤ山中に住んで居る人であって一方の相手はチベット人、ここではよほど盛んに市が行われるものと見えて白いテントが百五、六十も張ってあるです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
かすかなる市人いちびとのささやききこえ
ふるさと (旧字旧仮名) / 萩原朔太郎(著)
市人いちびとたちよ、重ねたる
晶子詩篇全集拾遺 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
世の市人いちびと
泣菫詩抄 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
六所明神ろくしょみょうじんに近い一旅亭の門に、ひと目で“釜のふた”と市人いちびとにもわかる足利家の紋幕がそれである。主従二十余騎、今日で二日三晩の足ぶみだった。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何地いずちきけむ。久しくその名聞えざりしが、この一座に交りて、再び市人いちびとの眼に留りつ。かの時のおもかげは、露ばかりも残りおらで、色も蒼からず、天窓あたまげたり。
照葉狂言 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
日蓮宗の事だから、江戸の市人いちびとの墓が多い。……
三つの挿話 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
それに京都から志賀の坂本や大津へ通う近道でもあるので、どこへ降りても市人いちびとの踏んだ足のあとが必ずついている。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日蔽ひおおい葭簀よしずを払った、両側の組柱は、鉄橋の木賃に似て、男もおんなも、折から市人いちびと服装なりは皆黒いのに、一ツ鮮麗あざやかく美人の姿のために、さながら、市松障子の屋台した
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
だから今の世には、鎌倉のばさら執権の下に、ばさら御家人、ばさら市人いちびと、ばさら大尽、ばさら尼、さては、ばさら商売の田楽役者までが無数にいるのはふしぎでなかった。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ふもとに遠き市人いちびと東雲しののめよりするもあり。まだ夜明けざるにきたるあり。芝茸しばたけ、松茸、しめじ、松露など、小笹おざさの蔭、芝の中、雑木の奥、谷間たにあいに、いと多き山なれど、狩る人の数もまた多し。
清心庵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
といえば、木樵きこりも、百姓も、市人いちびとも、自分たちの慈父のようになつかしみ、彼のすがたは、地上の太陽のように、行く所にあたたかに、そして親しみと尊敬をもって迎えられた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とないだふしくがごとく、うらむがごとく、いつも(おう)のきたりて市街しがい横行わうかうするにしたがうて、くだん童謠どうえう東西とうざいき、南北なんぼくし、言語ごんごえたる不快ふくわい嫌惡けんをじやう喚起よびおこして、市人いちびとみゝおほはざるなし。
蛇くひ (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
裁許橋とは、市人いちびとたちの俗称である。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)