あと)” の例文
山「まア思い掛けない事で、お前さんは三年あとに池上の田甫たんぼへ出口の石橋の処の茶見世に出ておいでのお蘭さんとか云う娘さんだねえ」
此寺の落慶供養のあつたのは、つい四五日あとであつた。まだ其日の喜ばしい騒ぎの響きが、どこかにする様に、麓の村びと等には感じられて居る程なのだ。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
嬢様じょうさま、おまえさんはおちいさい時分でありましたから、顔も忘れてしまいましたが、今年で丁度十四年あとわっちが前橋にくすぶっていた時
此寺の落慶供養のあったのは、つい四五日あとであった。まだあの日の喜ばしい騒ぎのとよみが、どこかにする様に、ふもとの村びと等には、感じられて居る程である。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
清「えゝ、お内室かみさんあんたはまアどうして此様こんなにお成りなさいました、十四年あとお宅で御厄介になりやした家根屋の清次でございやす」
永「何うしたって、それは知れる、忘れもしない十三年あと、九月の月末つきずえからお前の処へわしも足を近く通った、私は水司又市だが忘れたかえ」
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
「お前さんが七年あとに清水さんを殺した其の白骨でも出さなけりゃア、跡に残った女房子にょうぼこが七回忌になりやしても、とむらいも出来やせん」
いえ十六年あと親父おやじが行方知れずになって、今に死んだか生きたか知れない、音も沙汰もねえでございますが、ひょっと親父が存生ぞんしょうで帰った時は
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
永「もっとも幼少の時分からと云う訳じゃアないが、七八年あとから少々因縁有って御出家にならっしゃッたじゃ」
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
此の峯松は三年あとに足利栄町に於きましてお瀧と密通して、茂之助夫婦が非業な死を遂げた村上松五郎と云う士族さむらいで、今姿を変えても斯様な悪業を働いて居ります。
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
三年あと沼田の下新田へ道連れの小平という胡麻灰ごまのはいを連れ、強談ゆすりに来たおかくばゝあで有りますからびっくり致し
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
あなたのお口入であったればこそ見合までさして下すったので、有難い事と実にわたくしも喜んで居たのに、六年あとの浦賀の祭に小兼と内約が出来たってとう/\彼方あちらをお断り
旦那……お手水ちょうずですか、き突当って右の方です……だがねねえさん、の旦那様と云うものは御新造様が無いのですよ……アレサ実は御新造さんは三年あとなくなってお独身ひとりでおいでだが
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
今小兼は出て来てうちに居るのだがね、妙なもんで六年あと彼奴あいつい女だったが、此の頃はこう小皺が寄ってきて、年をった新造しんぞの顔はおっかねえもので、何だか見るのも厭になったが
ちいさい時分に両親ふたおやなくなってしまい、知る人に連れられて此の美作国みまさかのくにめえって、何処どこと云って身も定まりやしねえで居ましたが、縁有って五年あと当家こゝへ奉公にめえりまして、なげえ間お世話になり
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)