几董きとう)” の例文
これだけは蕪村ぶそんの大手腕もつひに追随出来なかつたらしい。しもに挙げるのは几董きとうの編した蕪村句集に載つてゐる春雨の句の全部である。
芭蕉雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
これは几董きとう調です。前のと伯仲の間だと仰せられては落胆します。「御前ごぜんが馬鹿ならわたしも馬鹿だ、馬鹿と馬鹿なら喧嘩だよ。」
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
几董きとうの俳句に「晴るる日や雲を貫く雪の不尽」といふがあり、極めて尋常にじょし去りたれども不尽の趣はかへつて善く現れ申候。
歌よみに与ふる書 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
第四「馬の間」の襖は応挙、第五「孔雀くじゃくの間」は半峰、第六「八景の間」は島原八景、第七「桜の間」は狩野かのう常信の筆、第八「かこいの間」には几董きとうの句がある。
「あなたに伺ったら判るだろうと思うのですが、几董きとうという俳諧師はどんな人ですね」
半七捕物帳:66 地蔵は踊る (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
この句几董きとうの句集にれ、後に遺稿中から発見された。句集の方のは
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
几董きとうの俳句に「晴るる日や雲を貫く雪の不尽」というがあり、極めて尋常にじょし去りたれども不尽の趣はかえって善く現れもうし候。
歌よみに与ふる書 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
もし太祇に似たものを求めたなら几董きとうであろう。几董は召波と太祇との中間にいるものといってもよかろう。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
太祇たいぎ蕪村召波しょうは几董きとうらを学びし結果はただに新趣味を加へたるのみならず言ひ廻しに自在を得て複雑なる事物を能く料理するに至り
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
短夜や伽羅きゃらの匂ひの胸ぶくれ 几董きとう
俳句とはどんなものか (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
几董きとうの俳句に「晴るゝ日や雲を貫く雪の不盡」といふがあり、極めて尋常に敍し去りたれども不盡の趣は却て善く現れ申候。
歌よみに与ふる書 (旧字旧仮名) / 正岡子規(著)
水仙にたまる師走しわすほこりかな 几董きとう
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
ちなみにいふ。太祇たいぎにも蕪村ぶそんにも几董きとうにも「訪はれ顔」といふ句あるは其角きかくの附句より思ひつきたるならん。(三月二十四日)
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
蕪村の俳諧を学びし者月居げっきょ月渓げっけい召波しょうは几圭きけい維駒これこま等皆師の調を学びしかども、独りその堂にのぼりし者を几董きとうとす。几董は師号を継ぎ三世夜半亭をとなふ。
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
蕪村の俳諧を学びし者月居、月渓、召波、几圭きけい維駒いく等皆師の調を学びしかども、ひとりその堂に上りし者を几董きとうとす、几董は師号を継ぎ三世夜半亭をとなう。
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
附けていふ、碧梧桐へきごとう近時召波しょうはの句を読んで三歎す。余もいまだ十分の研究を得ざれども召波の句の趣向と言葉と共にはたらき居る事太祇たいぎ蕪村ぶそん几董きとうにも勝るかと思ふ。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
この二人があるさえ京に偏重して居るのに、まだこの外に几董きとうも京にいた、これもやはり蕪村、太祇を除いたら敵はないのです。まだその下に闌更らんこうというふんどしかつぎがおります。
俳句上の京と江戸 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
この几董きとうの句にても「生きて世に」と屈折したることばの働きより「人の年忌や」とよそよそしくものしたる最後に「初茄子」と何心なく置きたるが如くにて、その実心中無限の感情を隠し
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
一、 おちぶれて関寺せきでらうたふ頭巾ずきんかな 几董きとう
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
反古ほごならぬ五車ごしゃあるじよ花の時 几董きとう
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
几董きとう
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)