“らい”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:ライ
語句割合
雷68.1%
癩10.8%
来10.2%
頼3.6%
礼3.0%
來1.2%
瀬1.2%
羅衣0.6%
莱0.6%
酹0.6%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
本人はまだ知らないが、支配頭から叔父にはもう内達(ないたつ)があった。この一家の上を掩(おお)っていた黒雲から、とうとう怖ろしい雷(らい)が落ちた。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その次はすっかり変って般若(はんにゃ)の面が小く見えた。それが消えると、癩(らい)病の、頬のふくれた、眼を剥(む)いだような、気味の悪い顔が出た。
ランプの影 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
荒木又右衛門保和、時に三十七、来(らい)伊賀守(いがのかみ)金道(きんみち)、厚重(あつがさね)の一刀、※元(はばきもと)で一寸長さ二尺七寸という強刀、斬られても撲られても、助かりっこのない代物である。
鍵屋の辻 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
水戸の『大日本史』に、尾張の『類聚日本紀(るいじゅうにほんぎ)』に、あるいは頼(らい)氏の『日本外史』に、大義名分を正そうとした人たちのまいた種が深くもこの国の人々の心にきざして来たのだ。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
自分も巴里(パリイ)で時時(とき/″\)其(その)床屋へ行く。其れは髪の毛が一本でも散(ちら)ばつて居ないのを礼(らい)とする此処(ここ)では自分で手際よく髪を持ち扱ひ難(にく)いからである。髪結(かみゆひ)は多く男である。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛、与謝野晶子(著)
斯(か)うした地主(ぢぬし)にばかり出會(であは)して居(を)れば文句(もんく)は無(な)いなど戯(たはむ)れつゝ、其方(そのはう)を發掘(はつくつ)に掛(かゝ)つたが、此所(こゝ)は未(ま)だ三千年(せんねん)來(らい)手(て)のつかぬ處(ところ)であつて、貝層(かひそう)の具合(ぐあひ)が大變(たいへん)に好(よ)い。
「巻金村。離信已来濃。行行少峻峰。望原莎径坦。臨谷稲田重。五瀬雲辺嶺。七株山畔松。炊烟人語近。半睡聴村舂。」五瀬(らい)はいせである。「此地遠望勢州之諸山、翠黛於雲辺」と註してある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
丸い肩から流れる線の末端を留めて花弁を揃(そろ)へたやうな——それも自然に薄紅の肉色を思はせる指、なよやかな下半身に打ちなびく羅衣(らい)の襞(ひだ)の
老主の一時期 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
晏平仲嬰(あんぺいちうえい)は、(三六)莱(らい)の夷維(いゐ)の人(ひと)也(なり)。齊(せい)の靈公(れいこう)・莊公(さうこう)・景公(けいこう)に事(つか)へ、節儉力行(せつけんりよくかう)を以(もつ)て齊(せい)に重(おも)んぜらる。既(すで)に齊(せい)に相(しやう)として、(三七)食(しよく)は肉(にく)を重(かさ)ねず、妾(せふ)は(三八)帛(きぬ)を衣(き)ず。
当時宜山は儒者奥詰、角兵衛は使番格、周迪は奥医師であつた。書中に又「尾道に順迪(じゆんてき)の墓を酹(らい)す」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)